天気の子 考察。 【ネタバレ感想考察】「天気の子」を君の名は。嫌いがみた結果|愛が歌われ尽くした世界で描かれた現代人への応援歌

天気の子 感想(ネタバレ考察あり)

天気の子 考察

島出身の家出少年・帆高(ほだか)は、船に乗って東京にやってくる。 仕事が見つからず、帆高は新宿の街に身を置きながら、漫画喫茶やマクドナルドを転々としていた(このとき帆高はひょんなことから拳銃を拾っている)。 身も心も疲れ切っていた帆高は、マクドナルドに入り浸りながら、船の中である一枚の名刺を渡されていたことを思い出す。 東京にやってくる船の上で危険になっていたところを、一人の男性に助けられていたのだ。 それが、オカルト記事を専門に扱う会社の社長、須賀だった。 そんなことをぼんやり考えていると、ふいにマクドナルドの店員からビックマックをもらう。 転がり込むようにして須賀さんのところに行った帆高は、須賀の姪、夏美と出会う。 帆高はそこで、オカルトライター兼雑用として須賀と夏美と共に働くことになる。 ある日、帆高は路地裏で一人の少女を助ける。 それがあの日のマクドナルドの店員、陽菜(ひな)だった。 東京は数十年に一度の異常気象で雨続きだった。 陽菜には天候を変える力があった。 そのことを知った帆高は、陽菜と凪(陽菜の弟)と共に「晴れ女ビジネス」を始める。 とある花火大会に陽菜の姿が祈りを捧げている様子がテレビに写ったことがきっかけで、晴れ女ビジネスへの依頼が殺到した。 そのことが原因となり、晴れ女ビジネスは打ち止めとなった。 夏美は、晴れ女ビジネスで出会ったある依頼主に、こんな話を聞いていた。 『天気の巫女は人柱である——』 つまり、陽菜は天気の巫女であり、やがて天に飲み込まれてしまう、と。 夏美はそのことを、陽菜に告げる。 実際、陽菜は雨から晴れにするごとに、身体が透明になりつつあった。 ——警察が帆高を探していた。 行方不明者届が出ていた。 おまけに拳銃所持の罪も含まれていた。 須賀は誘拐犯の汚名を着せられそうになっている(須賀さんは帆高にクビ宣告をした)し、弟と二人暮らしをしていた陽菜にも問題が出てきていた。 帆高は、陽菜と凪と3人で逃げることにする。 東京の街の異常気象がよりひどくなっていた。 空と陽菜が繋がっていた。 ある日、陽菜は帆高の目の前で姿を消してしまう。 と同時に、凪と帆高も警察に保護されてしまう。 帆高は警察から逃げ、陽菜を探すことを決意する。 須賀、夏美、凪、いろいろな人の協力を経て、帆高は陽菜と再開する。 陽菜は空の上にいた。 帆高は、天気よりも陽菜を選んだ。 雨はそれから三年間止むことなく、今も振り続けている。 とまぁ、ざっくりまとめるとこんな感じのストーリーですね。 小説版の特徴としては、登場人物のそれぞれの視点で語られている点でしょうか。 それぞれのキャラクターの心境がよりわかりやすいと感じましたし、「読み手がどの登場人物の視点で物語を捉えるか?」という見方もできるので、感情移入もしやすいと思います。 小説『天気の子』の感想と考察 物語としては、人によっては「ハッピーエンドじゃない」という感想を抱いたりするのかなあ、と。 俗に言う、ってやつでしょうか。 まあ、事実、帆高は異常気象を止めることよりも陽菜を優先しましたし、「その他大勢」よりも「たった一人の人間」を選んだってことですから。 世界のため、人類のため、と主人公が自らの命をなげうつ作品とは、ここが決定的に違う点ですね。 結局、異常気象は収まらず、ひたすらに続く雨に伴う悪影響は計り知れません。 それでも——、それでも帆高は陽菜を選んだんです。 陽菜のため、そして、他でもない自分のために。 単純に、「女の子は助かったよ。 異常気象もなくなったよ」というハッピーエンドでもなければ、「女の子はいなくなっちゃった。 でも、天気は回復したよ」みたいな話でもない。 見る人、読む人にとってはかなり大きく作品に対する感じ方が違うんじゃないかな、って思います。 曖昧さを肯定するメッセージ 正義と悪に分けたがるのが人間って生き物だと思うんですが、世の中ってグレーなことの方が多いんじゃないでしょうか。 楽しい人がいれば、その裏で苦しい思いをしている人もいるわけで。 自分の立ち位置が変われば、物事に対する考え方なんて一瞬でひっくり返っちゃうわけですし、正しいこと、正しくないこと、なんてのは、あってないようなものなんじゃないんでしょうか。 なんというか、この『天気の子』という作品は、そういった世の中に溢れてるグレーな部分に、そっと「それでいいんじゃないかな」と呼びかけているようにも思えたんですよね。 どんな人にも自分だけの世界はあって、もしかしたら自分が気づかないだけで、自分を応援してくれる人、自分の世界を認めてくれる人がいるんだよ、って。 小説の最後、RADWIMPSの野田洋次郎さんの「解説」にこんな言葉があります。 すべての人が、皆自分だけの世界を持ち、その世界の中で必死に生きている。 役割を持ち、何かしらの責任を負い、自分というたった一つの命を今日から明日へと日々運んでいく。 (小説『天気の子』, p308) これだけを見れば、「何を当たり前のことを……」と思ってしまいそうですが、当たり前だからこそ忘れがちなんですよね。 きっと、とても大事なことなのに。 手を合わせて晴れることを祈ることもあるだろうし、反対に「このままずっと雨が続けばいいのに」なんて思ったりすることもあると思うんです。 それぐらい人間なんて生き物は自分勝手だし、わがままだし、でも、それって「自分の世界を守っていることに変わりないよな」とも思うんです。 雨が降れば傘を差す。 それぐらい、自分の世界を守ることも当たり前なんじゃないかな、って。 僕自信が不完全であるのと同じように、大人たちもまた等しく不完全なのだ。 皆がその不完全さを抱えたまま、ごつごつと時にぶつかりながら生きているのだ。 (小説『天気の子』, p275) 拳銃の意味 物語には帆高が拳銃をぶっ放すシーンが出てきます。 それは間違った方法なのかもしれないけれど、帆高は自分の守りたいものを守るために、引き金を引いた。 これが正しいことなのか、間違ったことなのか、それはわかりません。 もちろん、人を傷つける行為はいけないことです。 いくら大切なものを守るためとはいえ、他の誰かを傷つけていいわけじゃない。 僕が思うに、この拳銃の描写は、「言いたくても言えない、守りたくても守れない」そんな気持ちが、たくさん、たくさん詰まった「心の叫び」なんじゃないかと、そう思うんですよ。 世の中、好き勝手にものを言って、自由気ままに立ち回れるほど「できた世界じゃない」わけです。 何をしても、何を言っても許されるのであれば、拳銃なんて必要ありません。 でも、現代の日本は見方によっては、相当不自由な場所だと思うんですよ。 一見、インターネットは普及して、生活は便利になったけれど、その一方で「不自由」になった部分も確かにあるんじゃないかな、と。 仕事や家族の問題、悩み、お金、経済、政治、社会、とかとか。 そういった鬱憤、鬱々とした感情、言葉では到底表しきれない気持ちが、あの「拳銃」っていうものに取って代わったのかもしれませんね。 ま、でも結局、拳銃なんて必要なかった。 その気になれば、いつだって人は自分の世界を変えられる。 そんなメッセージも込められているんじゃないかな、って思いました。 皆、本当は分かっているくせに——と、走りながら僕は思う。 皆、なにかを踏みつけて生きているくせに。 誰かの犠牲の上じゃないと生きられないくせに。 陽菜さんと引き換えに青空を手に入れたくせに。 そしてそれは、僕も同じだ。 (小説『天気の子』, p247) 外との繋がり 『天気の子』を読了したあと、なぜだか頭に「繋がり」という言葉がとても印象深く残ってたんですよね。 島から飛び出してきた帆高は船で須賀さんに助けられ、その繋がりで須賀さんのところで働き、夏美さんとも出会った。 新宿という街で身も心もボロボロになりながら、陽菜と出会い、晴れ女ビジネスでたくさんの人と出会った。 天と陽菜も繋がっていた。 人間、一人で生きていくなんてことはできないわけだし、まあるい輪っかの中にいる以上、つまりこの世で生きている以上、繋がりを完全に断ち切ることはできません。 自分が生きている以上、どこかに悪い影響を及ぼしている可能性だってゼロじゃない。 むしろ、この世界になんの影響も与えていない人間なんて一人だっていやしないんです。 事実、帆高も陽菜も、異常気象の原因を知っていてなお"生きること"を選んだ。 この『天気の子』は、なにも「曖昧さを全肯定して、君の好きに生きればいいじゃない」っていうことを伝えたいわけじゃないと思うんですよ。 空想の世界に逃げ込んでもいいじゃん、みたいな無責任なものでもないと思うんです。 誰かが傷つくことを知って、自分の中に守りたいなにかがあるということを知って、弱さを知って、理不尽さを知って、それでもなお"自分のためになにかを選び取る"ことこそが大事なんじゃないかな、と。 須賀さんの言葉にこんなのがありました。 妄想なんかしてねえで、現実を見ろよ現実を。 いいか、若い奴は勘違いしてるけど、自分の内側なんかだらだら眺めててもそこにはなんにもねえの。 大事なことはぜんぶ外側にあるの。 自分を見ねえで人を見ろよ。 どんだけ自分が特別だと思ってんだよ。 (小説『天気の子』, p284) 『自分を見ねえで人を見ろよ。 』という言葉にも、人との繋がりに対する強いなにかを感じましたね。 うーん、須賀さんかっこいいなぁ。 異常気象=災害=津波? 降り続ける雨、沈む街、異常気象。 ふと、東日本大震災のことを思い出した。 もしかしたら、『天気の子』には、2011年のあの大災害によって起きた津波のことも含まれているのかもしれません。 もちろんそれだけじゃなくて、政治だったり、マスコミだったり、教育の現場だったり、なんというか、そういったものすべてに対して問題提起をしているんじゃないかなぁ、と。 『天気の子』の中で帆高が選びとった道はあくまで答えのひとつにしか過ぎなくて、本当は、もっと一人ひとりに違う答えがあっていいし、そのためには一人ひとりがきちんと問題と向き合って、自分なりに答えを導いていくしかないと思うんです。 なんていうか、僕は、そういう感想を抱きました。 「こういう物語があったよ。 君はどう思う? 君だったらどんな道を選ぶ?」っていう問題提起がなされているように、そう感じるんです。 これは別に新海誠作品に限った話ではなくて、物語全般、アニメや小説、映画に関して、同じことが言えるかもしれませんね。 オカルトに関しての考察 作中での帆高と須賀さんとのやり取り。 帆高「(中略)晴れ女とか雨女とかって、ぜんぶ『そんな気がする』っていう認知バイアスですよね? いるわけないじゃないですか!」 須賀「こっちはそんなのぜんぶ分かっててエンタメを提供してんの。 そんで読者もぜんぶ分かってて読んでんの。 社会の娯楽を舐めんじゃねえよ」 (小説『天気の子』, p49-50) オカルトという非現実、幻のようなものに携わっていながらも、「人を見ろよ」と言う須賀さん。 きっと、本当か、本当じゃないか、なんてことはどうだっていいことなんですよ。 それぞれが楽しみたいように楽しむ、それがオカルトだって僕は思います。 幽霊がいるかいないかの議論は、あくまで娯楽であって、互いを貶し合って、人格否定をしながら進めるものじゃない。 エンタメにおいて、それが嘘だろうが、真実だろうが、そんなのは二の次で、もっとも重要なのは「楽しめるか、楽しめないか」だけ。 いたらいいね、ぐらいのテンションでいいと思うんです。 きっと、自分もそうだと思う。 なんだかんだ言って、自分が一番大切で、なんだかんだ自分の大切なものを守るためなら、他の人間がどうなろうとかまわないって思ってる。 たぶん、それは紛れもない事実。 それぐらいは、認めたってバチは当たらないと思う。 感情は世界に影響を及ぼすか お天気ビジネスの口コミレビューに文章に、以下のようなものがありました。 こんな話知ってるか? 人間の感情が乱数発生器に影響を与えるって話。 それがさ、大災害とか大イベントとか、大勢の人間の感情が大きく乱れるようなことがあると、その瞬間だけ確率がガラッと変わっちまうそうなんだ。 実際にそういう現象が世界中で確認されていてさ。 それで思ったんだな。 人間の願いとか祈りとかってのは、現実に世界を変える力があるんじゃないか。 俺たちの脳みそは頭蓋骨の中で完結してるわけじゃなくて、なんらかの形で世界全体と繋がってるんじゃないか。 スマホとクラウドが見えないのに繋がってるみたいにさ。 (小説『天気の子』, p117) これもオカルトといえばオカルトのような話で、まあ、実際、量子力学って分野では「人間の感情が世界に与える影響」についてマジメに研究されてます。 超常現象も時が経てば、それはいずれ本物にだってなりうるんです。 ま、誰しも非日常は心のどこかで求めていて、それが作中の「オカルト」であったり、乱数発生器の話であったりすると思うんです。 現実を受け入れながら、どこかで大切に持ってる期待感や超常的なものに対する欲求を、物語を通して投影してる。 そんな感じもしましたね。 『天気の子』と『君の名は。 』との関連性 作中に帆高が陽菜に指輪を買うシーンが出てくるんですけど、そこにこんな描写がありました。 「がんばってくださいね」と最後に優しく微笑まれ、ネームプレートの「宮水」という文字を見ながら、僕は深く頭を下げた。 (小説『天気の子』, p151)• 田端:陽菜が住んでいる場所• 新宿(歌舞伎町):帆高が家出して「東京ならここだろ」と来た街• 六本木ヒルズの屋上スカイデッキ:陽菜が花火大会のために「晴れ」を願ったところ 陽菜が天気を操る力を手に入れた場所のモデルとなったのは、「朝日稲荷神社」が一番有力(屋上に神社がある)だと言われてます。 作中では廃ビルってことになってますね。 朝日稲荷神社は東京都中央区銀座3丁目にあるみたいです。 聖地に関しては劇場版と照らし合わせて、まだまだ調査が必要みたいですね。 小説『天気の子』はひらすらに優しい作品だった 僕にとって、「雨」は平和の象徴です。 傘を持たずに、雨に当たると、無意識に手を広げて雨を感じようとしますよね。 世界中の皆がいっせいにあのポーズを取ったら平和になると思いませんか? とまあ、それはさておき、『天気の子』を読んでしょっぱなに思ったのは、僕と共通点が多い作品だなぁ、ってことですね。 僕のハンドルネーム(あめぎ)で、僕自身「雨」には強い思い入れがあるし、物語の主人公・帆高はオカルトライターってことで、ブロガーである僕(オカルトブロガー)は無意識に自分と帆高を重ねてしまうのです。 僕の名前には『君の涙を見たくなくて僕は雨を降らしたよ 君の笑った顔が見たくて僕は飴を降らしたよ』っていう、野田洋次郎もびっくりの意味が込められてたりします — あめぎ ameyohure 新宿という街 僕は高校生の頃から「新宿」という街に頻繁に通っていて、それこそ歌舞伎町の地下ライブハウスで何年もバンド活動をしてましたし、専門学校時代も新宿の学校に通ってました。 なにも知らずに、傷つきながらも懸命に生きようとする帆高の姿と、過去の自分を勝手に重ねて「なつかしいなあ」と感傷に浸っていたり。 もしかしたら、新海誠作品はより多くの人が「自分と共通点が多い作品だなぁ」と感じられるようなものになっているのかもしれません。 確証はないですが、ふとそんな気がしました。

次の

君の名は。瀧・三葉 その後 結婚?? 小説 天気の子から考察|おうちで楽しく過ごそう

天気の子 考察

引用元:映画『天気の子』公式サイト 【天気の子とは?】 『天気の子』(てんきのこ、英語: Weathering With You)は、新海誠監督による日本のアニメーション映画作品。 2019年7月19日公開。 第44回トロント国際映画祭スペシャル・プレゼンテーション部門出品作品。 キャッチコピーは「これは、僕と彼女だけが知っている、世界の秘密についての物語」。 前作『君の名は。 』から3年ぶりとなる、新海の7作目の劇場用アニメーション映画。 『君の名は。 』に引き続きRADWIMPSが音楽を担当しているが、ボーカルの野田洋次郎は前作以上にストーリー展開を決める話し合いにも参加しており、音楽監督としての職務も担っている Wikipediaより参照 新海誠監督の前作である「君の名は」は、 日本国内において興行収入【250. 3億円】を記録し、 興行収入ランキングで歴代4位を記録しております。 kogyotsushin. これはすごい事です。 (それにしてもジブリが強い) 邦画としては、千と千尋の神隠しに次ぐ、歴代二位という事になります。 そしてさらに、世界での興行収入は【3. 58億ドル】であり、 『千と千尋』の2. 75億ドルを超えて日本映画および日本のアニメ映画で世界歴代興行収入1位となったとされています。 …新海、ハンパないって!! ・・・その偉業ともいえる実績を積み上げた、新海誠監督の「君の名は」の、 次の作品にあたるのが、この「天気の子」です。 監督自身、相当なプレッシャーがあったのではないでしょうか。 内容やクオリティ、そして興行収入という部分は、どうしても前作と比べられてしまうと思います。 ぼく個人としては、この前作のプレッシャーがかかる中で、 「どんなテーマの新作を作るのか?」という、疑問と、期待感がありました。 安パイのような、エンターテイメント性の高い作品を作るのか?• それとも、深いテーマを持った、挑戦的な作品を作るのか? 要するに「守りに入るのか、攻めに行くのか、どちらを選ぶのか?」という、疑問や期待がありました。 …そして先日、ぼく、見に行ってきました。 ぼくのInstagramのストーリーより …一度見た率直な感想としましては 「社会に対する深いテーマをもった、挑戦的な作品だ」と思いました。 要するに 〈攻めに行っている作品〉です! 社会に対して問題提起をして、映画を見ている聴衆に問いかけてくるような、挑戦的な作品です。 そして、扱っているテーマが素晴らしく。 本当に、すべての現代人が考えるべきテーマです。 重いテーマではありますが、そのテーマに対して全ての現代人が「当事者」として「自分事」として考えてほしいという、新海誠監督の意思を感じる作品でした。 … この考察記事では、 『新海誠監督が伝えたかった、その深いテーマとは、メッセージとは、何なのか?』 という事を中心に、考察していきます。 そして、その考察をもとに、作中の意味深な部分、謎な部分についての 「謎解き」というものを、していこうと思います。 …あくまでもぼく個人の、主観的な考察です。 (そもそも考察とは、主観的なものです) そして、10人いたら10人の、違った見え方、違った考察があるという事が素晴らしい事であるとぼくは思っています。 その中で、「こういう見方をしたら、深くない?価値高くない?」 という意思でもって、この映画の価値をより高めるために、この記事を書いております。 できる限り、複雑な表現を使わず、シンプルに分かりやすい考察を心がけております。 その気があれば、小学六年生でも理解できるように意識して、文章を書きました。 (また、そうする事が天気の子のテーマとして、必要な事だと考えています) 10時間くらいかけて丁寧に書いた分、長めの記事になってしまいましたが、 その気になれば、10分で読めると思います。 導入パート(いまここ)• テーマの読み取りと問題提起パート• アンサーパート• 謎解きパート• まとめパート という順番で、丁寧に解説していきたいと思います。 時間があるときに、少しずつ読み進めていただけましたら幸いです。 そしてさらに、あなたの「見え方」を後押しするような記事になれば、幸いです。 では、始めていきます。 テーマの読み取りと問題提起パート この「暗く、閉塞感のある社会」の中を生きる 子どもたち、そして大人たちは 未来のために、どう生きたら良いのだろうか? 自分や他人を犠牲にせず、 大事な人や、大事なものを犠牲にせず、 この社会で、どうやって生きればいいのだろうか? …そしてその「答え」とは? というテーマであると、考察しております。 ・・・重々しいテーマですが、だからこそこれを表現している「天気の子」は、価値のある作品だと思っております。 まずは、なぜぼくがそのように考察したのか?という部分を、解説していきたいと思います。 【登場人物のおさらい】 まずは、登場人物をざっとおさらいしていきたいと思います。 森嶋帆高(CV:醍醐虎汰朗) 家出をして離島から東京に出てきた少年。 天野陽菜(CV:森七菜) 東京の片隅で弟と二人きりで暮らす少女。 夏美(CV:本田翼) 須賀圭介の事務所で働いている大学生。 冨美(CV:倍賞千恵子) 東京に住む老婦人。 天野凪(CV:吉柳咲良) 陽菜の弟。 安井(CV: 平泉成) 初老の刑事。 高井(CV:梶裕貴) 安井の相棒刑事。 須賀圭介(CV:小栗旬) 東京で小さな編集事務所を営んでいる。 …とにかく、配役が豪華でしたね。 【世界観から、テーマ・メッセージ・謎を読み解く】 まずは、 「天気の子」の設定における〈特徴的な世界観〉を読み解いていくことで、 この作品の根本的なテーマとメッセージが浮かび上がって来ます。 雨が降り続けている社会 まず、どう考えても特徴的な世界観としましては 〈雨が降り続けている東京〉という部分です。 引用元:ぱずぱずブログ 大前提として、この映画の中では〈ずっと雨が降り続けている〉という現実があり、 それをどうにかするために主人公たちがアプローチしていくという事が、物語の中心になっています。 この 〈ずっと雨が降り続けている現実〉というものを、いかに解釈するかで、 天気の子のテーマは、大きく変わって行きます。 〈雨が降り続けている〉という世界観を通じて、新海誠監督は何を伝えたかったのでしょうか? ここから読み取れるテーマとメッセージ これはつまり、 「雨が降り続けている」という世界観を通じて、 『この暗く、閉塞感のある日本の現実社会』というものを、表現したかったのだと思います。 〈雨〉というものは、しばしば、 〈暗い現実〉というものを表現するために用いられてきた比喩表現だと思っています。 例えば有名どころだと、井上陽水さんの楽曲「傘がない」ですね。 utamap. php? そして、さらに言えば、「天気の子」は この雨が降る、閉塞感のある暗い社会をどうにかするために、主人公たちがアプローチしていく物語。 という、テーマを持った作品であると考察できます。 … あなた自身に置き換えて、考えてみていただきたいです。 この社会を生きるあなたは、閉塞感(へいそくかん)を、感じていませんか? 現代社会において多くの人が、 閉塞感、生きづらさ、息苦しさというものを、心の奥底で感じていると思います。 一言で言えば慢性的なストレスですし、さらに言えば未来への希望(晴れ)を感じる事が難しい社会になってしまっているという、現実があると思います。 『この現実をどうにかしたい』という監督の意思を、この作品からぼくは感じております。 天気を晴らす「晴れ女」という役割を持った人がいるという世界観 引用元:RBB TODAY 「晴れ女」という役割を持った人が祈りをささげる事で、雨が止んで、天気が晴れる。 だけれども、「晴れ女」はその役割を果たすと、消えてしまう。 つまり「晴れ女」は、皆のために雨を止ませて天気を晴らすための、人柱であり、犠牲になっている。 …こういう世界観が、この映画の中にはありましたよね。 新海誠監督は、この表現を通じて何を伝えようとしているのでしょうか? この「晴れ女」の解釈も、この映画を読み解く上で重要になってきます。 ここから読み取れるテーマとメッセージ 「晴れ女」という表現を通じて 『誰かが犠牲になる事で成り立っている、この社会の否定』 『大事な何かを、大事な誰かを犠牲にしないと生きられない、この社会の否定』 というメッセージを伝えようとしていると、ぼくは感じております。 …現実として、この社会は、このような状態になってしまっています。 この社会の暗さを生み出している〈社会システムの歪み〉のしわ寄せが、 立場の弱い人、優しい人、若い人という対象へ、向かってしまっています。 言ってしまえば、この社会的が生み出すストレスは、より立場の弱い方へ弱い方へ、向かっていきます。 html そして、その立場の弱い人、優しい人、若い人という対象が犠牲になる事で、 このストレスばかりを生み出す社会は、ギリギリのところで、成り立っている状態です。 加えて、 〈大事なことや、大事な人を、本当の意味で大事にすることができない社会〉です。 普通に生きるために、大事なものを犠牲にしなくてはならない社会です。 例えば、• 大事な家族のためにお金を稼ぐために、家族との時間を犠牲にしなくてはならない、とか。 大事な自分の人生観を捻じ曲げて、社会に合わせて生きなくてはならない、とか。 大事にしたい本音を言えず、建前で生きなくてはならない、とか。 「大事なものを大事にできる」なんてことは、本来は、当たり前に実現できる社会でなくてはなりません。 …しかし現実は、そういう社会では、なくなってしまっています。 utamap. php? uta-net. 新海誠監督には、これをどうにかしたいという、意思があったのではないでしょうか。 【キャラクターから読み解くテーマとメッセージ性】 次は、主要な登場人物の設定や、作中での変化を読み解くことで、 「天気の子」のテーマやメッセージ性を考察し、解説していきたいと思います。 まず、登場人物の特徴としましては、 「子ども」と「大人」という分かれを、象徴的に描いていると思います。 …当たり前のようなことに感じてしまう事ですが、 実はここに、大きなメッセージがあると、ぼくは考察しています。 森嶋帆高(もりしま ほだか)の設定とテーマ 引用元:映画『天気の子』公式サイト この映画の主人公。 何らかの原因で家出をして、故郷の離島から一人で東京に出てきた、高校1年生で16歳の少年。 しかし、家出少年という弱い立場において東京での生活は苦しく、仕事にもつけず、ネットカフェやマックで雨を凌いで夜を明かす生活をしていた。 そしてヒロインである天野陽菜(あまの ひな)と出会い、恋に落ちる。 最終的に、社会のために犠牲になってしまった天野陽菜を助けたい、連れ戻したい、一緒に居たいという一心で、 社会を敵に回した、大きな行動に出る。 …ざっくりですが、こういう設定とストーリーを持ったキャラクターでしたよね。 帆高が表しているテーマ 主人公の帆高のキャラクター設定を、世界観、そしてストーリーの展開と照らし合わせて考察すると 社会のレールから外れて生きる事に苦悩する子ども。 立場の弱い自分を乗り越えて、誰かを守れるように、大人になりたい子ども。 「大人になるということは、大事なものを犠牲にできるようになることなのか?」という、悩みと呵責を抱いている子ども。 というテーマを表しているキャラクターであると、考察しています。 そして 〈帆高の変化と決断〉が、この物語のテーマへの、アンサーになっていきます。 天野陽菜(あまの ひな)の設定とテーマ 引用元:AV Watch この映画のヒロイン。 「晴れ女」の力を持っている子。 18歳と偽っていたが、最終的に実際は15歳の中三であり、帆高より年下であったことが判明する。 弟と二人で暮らすために、経済のために、年齢を偽ってマクドナルドで働いていた。 その後クビになり、風俗バイトに勧誘されそうになっていたところ、帆高に止められ、助けられる。 最終的に「晴れ女」の力を使って、天気を晴らすが、人柱(犠牲)となり消えてしまう。 という設定のキャラクターでしたよね。 陽菜が表しているテーマ ヒロインの陽菜のキャラクター設定を、世界観そしてストーリーの展開と照らし合わせて考察すると この社会で大事な人を守るために、 大人になって、自らを犠牲にしなくてはならない子ども というテーマを表しているキャラクターであると、考察しています。 弟との生活のために、年齢を偽って働いて、風俗店で働きそうになるという設定。 皆のために、社会のために、晴れ女の役割を果たして人柱(犠牲)になるという設定。 こう言った設定から、この考察が生まれます。 この陽菜が抱えているテーマと同じテーマを、我々が生きる現実社会も抱えています。 須賀 圭介(すが けいすけ)の設定とテーマ 引用元:dorama9 この映画の、重要な役割を持つ大人。 東京で小さな編集事務所を営んでいる。 喘息を患っている幼い娘(萌花:もか)を溺愛しているが、死別(?)した妻(明日花:あすか)の母の元に引き取られているため自由に会えない。 船上で帆高を助けた縁がきっかけで、仕事に困っていた帆高を雇うようになる。 よく「帆高と須賀は似ている」という事を、周りから言われる。 最終的に、帆高がお尋ね者になった時に、「娘との生活を選ぶか、帆高を助ける事を選ぶか」という選択に迫られる。 という設定のキャラクターでしたよね。 須賀が表しているテーマ 須賀のキャラクター設定を、世界観そしてストーリーの展開と照らし合わせて考察すると この社会で大事なものを守るために、 大事なものを犠牲にしなくてはならなくて、苦悩する大人。 というテーマを表しているキャラクターであると、考察しています。 主人公の帆高と、「対(つい)」になるキャラクターです。 帆高が「大人になるということは、大事なものを犠牲にできるようになることなのか?」という、悩みと呵責を抱き、 須賀は「大事なものを犠牲にできる、その大人になってしまった自分」というものに、悩みと呵責を抱えています。 天気の子では、帆高と須賀の「対」となる描写を重ね合わせて、• この社会を生きる子どもたちは、どう生きれば良いのか?• この社会を生きる大人たちは、どう生きれば良いか? という、子どもの視聴者、大人の視聴者に対して、 それぞれ問いかけをしています。 …そして、帆高と須賀の、変化と決断を通じて、 その問いかけへのアンサーを、出しています。 他人(モブ)について 引用元:おうちクエスト 加えて、他人(モブ)という登場人物にも、メッセージ性が込められているように見えます。 この作品には、他の作品と比べると、かなり個性豊かな他人(モブ)が登場します。 まずここに、メッセージ性を感じます。 家出をして東京に出てきた主人公の帆高に対して、周りの人の対応は冷たかったですよね。 (ネットカフェの店員、風俗店のスタッフやボーイなど) その中で帆高は、孤独感を覚え「東京は怖い」というセリフをよく口にしていたという描写が印象的でした。 次いで、主人公の帆高はよく、ヤフー知恵袋のようなウェブサイトで、他人に対して相談をする描写があります。 しかし、冷たい答えや、いわゆるクソレスしか返ってこないという、描写がありましたよね。 …このあたりにも、メッセージ性を感じます。 他人(モブ)が表しているテーマ もちろん〈いい他人・モブ〉とういキャラクターも登場しましたが、 新海誠監督は、この印象的な〈冷たい他人・モブ〉を通じて、 家出少年の帆高に対して冷たい他人を描くことで、 社会のレール、社会のセオリーから外れてしまった人は、 この社会では冷遇され、冷たく扱われ、明るく生きる事が出来ないという社会の実情を描いている。 と感じています。 自分の生活の事で一杯一杯になり、他人に手を差し伸べている余裕のない現代人の実情を描いているのではないか? と感じています。 …そして、物語の展開としましては、 そんな孤独な帆高に対して、ヒロインの陽菜や須賀が手を差し伸べて繋がったことで、帆高の東京での生活は明るくなっていきます。 また、個性豊かな他人(モブ)に関しましては、監督へのインタビューに答えがありました。 誰もが無関係でない映画にするために、新海監督はメイン以外のキャラクターも奥行きのある人物にすることを心がけた。 上京したばかりの帆高を殴った典型的な悪役であるスカウトの男も、物語の終盤には柔らかな表情を見せる姿が短く描かれる。 新海「モブをモブとして描かないようにして、見ている人が、『これって私かもしれない』と思えるような人物になればと考えていました。 cinematoday. そして、助けてくれない冷たい他人と、助けてくれた温かい登場人物を対比する事で• 手を差し伸べる事• 繋がる事 という事の重要性を、示しているのだと考察しています。 加えて、登場人物を通して、 この社会を生きる「子ども」と「大人」を、特徴的に分けて描くことで• この社会で生きるために、子どもはどうしたら良いのか?• この社会で生きるために、大人はどうしたら良いのか という、子どもと大人への、それぞれへの問いかけと、そして答えが用意されていると考察しています。 【ここまでのまとめ】 さて、ここまでいろいろ書いてきた考察をまとめます。 【キャラクターとストーリーから読み解くメッセージ性】• 「普通の生き方」「社会のセオリー」という1本のレールを外れてしまったら生きていけない、この社会への疑問• この社会で大人になるという事は、大事な何かを犠牲にしなくてはならなくなる、という事への疑問 つまり 大事なものを犠牲にしたくない。 自分の本心を犠牲にしたくない、子どもと、大人。 でも、そうなってしまう、そうしないと生きられない、この社会。 自分たち生活の事で一杯一杯になり、他人を助ける余裕がない、この社会。 他者への愛を優先する事が許されない社会。 自分や他人を犠牲にせず、 大事な人や、大事なことを犠牲にすることなく、 この社会で、どうやって生きればいいのだろうか? そして この暗く、閉塞感のある社会の中を生きる、子どもたち、そして大人たちは 未来のために、どう生きたら良いのだろうか? …そしてその「答え」とは? ・・・というメッセージを投げかけてくる作品だと、 ここまでの考察で、感じております。 『天気の子は、聴衆に対して何を問いている映画だったのか?』という部分を、解説して来ました。 ここからは、 「アンサーパート」になります。 つまり、その 「問いかけへの答え」を、考察し、解説していきます。 この大事なものを犠牲にしなくてはならない社会 愛を優先する事が出来ない社会 こんな社会で、どうやって生きればいいのだろう? という問いかけがあると、ここまでで解説して来ました。 「天気の子」の中で、ストーリーが展開する中で 主人公の帆高も、この問いかけについて悩み、煩悶しました。 具体的には、• 「この社会のセオリーに従い、この社会ために愛を犠牲にする事を選択するか」• 「それとも陽菜への愛を優先して、社会のセオリーから外れようとも、愛を犠牲にしない選択をするか」 という選択に迫られ、煩悶しました。 …そして物語のクライマックスでは、 結果として、主人公の帆高は 「社会のセオリーから外れようとも、愛を優先する」という選択しました。 その結果として、ひなを助ける事が出来ました。 …もう少しかみ砕いて説明しますと、 愛を犠牲にしないということを選択し、 「大事なものを大事にし続ける」ということを選択した。 その「愛のある方向性で、他者と繋がり続ける」ということを選択した。 その結果、社会は変わらなかったが、 大事な人を犠牲にせず、大事なものを大事にすることができた。 愛を優先する事が出来た。 そして、主人公たちと、この社会の、明るい未来が開けていく。 ・・・という、ストーリーの展開と、主人公たちの選択があったと思います。 この展開と、この選択こそが、 先ほどの「問題提起と問いかけ」への【答え】だと思っています。 【問いかけへの答え】 つまりは、 「愛を優先する事」 「愛の方向性で他者と繋がり続ける事」こそが、 この暗い社会で犠牲にならずに生きるために、必要なことだ というアンサーだと、考察しています。 ・・・ 「愛」というと、色んな解釈や翻訳があると思いますが、 ぼくは簡潔に、 愛とは「与える事を優先する事」だと思っています。 人は誰しも、「もらい」「与え」ながら、生きています。 「他者からもらう事」を優先しなくてはならない社会から、 「他者に与える事」を優先する社会になるべきだ。 という、メッセージを感じます。 「もらう事を優先する社会」 つまり 「誰かが犠牲になる事で成り立つ社会」を変えていくために 一人一人が、愛を優先し、 その愛の方向性で人と繋がっていくことこそが、 この暗い社会で、生きるために必要なことであり、 この暗い社会を、明るく晴らしていくために、必要なことである。 というメッセージを、感じます。 【ラッドウィンプスの歌詞の意味の考察から読み解く、答え】 ラッドウィンプス(RADWIMPS)が担当している、天気の子の主題歌 「愛にできることはまだあるかい」の歌詞を読み解くと、答えが出てきます。 html ・・・このラッドウィンプスの「愛にできることはまだあるかい」の歌詞は、 問題提起パートで挙げた「聴衆への問いかけ」と アンサーパートで挙げた「その問いかけへの答え」が、 情緒的な詩でもって盛り込まれた、歌詞だと考察しています。 歌詞の意味を少し考察すると、 1番、2番で問題提起と問いかけをしています。 ぼくたちにできることままだあるよ。 ・・・という意味の歌詞だと、ぼくは考察しています。 ストーリー展開から読み取っても、 テーマソングの歌詞から読み取っても、 天気の子は、この【問いかけと答え】を持った作品であると、 ぼくは考察しています。 謎解きパート 引用元:NIKKEI STYLE — 日本経済新聞 問題提起パート アンサーパートと続き、 …ここからは、お待ちかねの、 「謎解きパート」に入ります。 「天気の子」の作中には、• 一見して、よく分からない描写。 一見して、謎な描写。 という、意味深なシーンが、多々あったと思います。 つまり【天気の子】のテーマと、メッセージと、答えというものを理解できた人は、 その理解がカギとなり、 この映画の意味深な謎の部分を、この理解をもとに読み解いていくことができます。 ここでは、ぼくがこの映画の中で、特に重要だと思った「謎」について、謎解きをしていきたいと思います。 【主人公・帆高の「家出の理由」について】 家出をして東京に来たという設定の帆高ですが、 「家出の理由」については、結局最後まで明かされませんでした。 この部分の謎解きとしましては… 新海誠とともにこの映画を作り上げた、プロデューサーの川村元気さんが、インタビューで答えていました。 川村「1900万人を超える方に見ていただいた『君の名は。 みんな子どもの頃に、家や学校、住んでいる町から一度は出てみたいという思いにかられたことがあると思うんです。 作中で具体的な過去エピソードを描くよりも、まったく描かないことによって見る人が自分の人生で補完するようになればという話をしました。 かつては帆高のような思いがあったけれど、社会と折り合いをつけた須賀のようなキャラクターもいる。 大人の観客にもかつて誰かを強く思っていたことを思い出してほしい。 【印象的なモブについて】 すでに謎解きした部分ですが、 この映画には、他の映画と比べて、特徴的で印象的なモブ(他人)が沢山でてきます。 ・・・ここも、興味を惹かれる「謎な部分」だと思います。 その答えは、 上記との謎と同じように、視聴者がキャラクターと自分を重ね合わせて共感し、 当事者としてこの映画のテーマにつて考えられるようにするため。 という事になります。 誰もが無関係でない映画にするために、新海監督はメイン以外のキャラクターも奥行きのある人物にすることを心がけた。 上京したばかりの帆高を殴った典型的な悪役であるスカウトの男も、物語の終盤には柔らかな表情を見せる姿が短く描かれる。 新海「モブをモブとして描かないようにして、見ている人が、『これって私かもしれない』と思えるような人物になればと考えていました。 死別した須賀の奥さんは「晴れ女」だった!? 作中の須賀は、 「晴れ女」について、主人公たちよりも以前から知っていたかのような描写が、多々あります。 例えばですが、 夏美が陽菜に対して「晴れ女は、天気を晴らす人柱(犠牲)になる運命だ」という旨を伝えたことを須賀が知ると、 須賀は夏美に対して「お前、人柱の事、伝えたのか!?」みたいな感じで、激怒していましたよね? 我々聴衆は『あれ、何で須賀、晴れ女についてそんなに詳しいの?』『なんでそんなに感情移入して怒っているの?』という疑問が湧いたかと思います。 そしてこの他にも、「須賀の奥さんが晴れ女だった」と仮定すると納得のいく、 須賀の、帆高や陽菜への対応が、多々ありました。 ここからは描かれていない、想像での謎解きになりますが、 ・・・ 須賀の娘は喘息もちで、「雨の時に喘息の発作がひどくなる」という描写がありました。 そして奥さんが「晴れ女」であり、 娘のために、晴れ女として天気を晴らし、人柱(犠牲)になるのを止める事が出来なかったという過去が、須賀にはあるのではないか? ・・・ と考察しています。 この 〈須賀の奥さんは晴れ女だった〉という解釈をもとに これまで行ってきた考察と照らし合わせると、須賀が表現しているメッセージが読み取れます。 大事なものを犠牲にしなくてはならない社会を受け入れられるようになる= この社会の常識に従い、大事なものを諦められるようになる= それが、大人になる事。 ・・・これでいいのか? 大人は、この社会を生きるために、これでいいのか? という、監督の強いメッセージを感じます。 【指輪の対比の謎】 須賀が左手にはめている、2つの指輪は、 おそらく、自分と奥さんの、それぞれの結婚指輪であると、考察しています。 そして、須賀がクセのように、その指輪に触れるシーンが印象的でした。 奥さんが晴れ女として犠牲になり天界に消えてしまい、残って空から落ちてきた指輪を、須賀は指にはめているのではないでしょうか? そして、主人公の帆高も、陽菜へのプレゼントとして指輪を選んでいました。 そもそも、指輪は、 〈愛する人への贈り物〉という要素の強いアクセサリーだと思っています。 そして、須賀と帆高の指輪を対比させることで、• 「社会のセオリーに従い、大事なものを、大事にすることができなかった」須賀• 「社会のセオリーに抗い、大事なものを、大事にすることを選択した」帆高 という、似ているけど違う、二つ面を表しているのではないか?と、ぼくは考えています。 【涙の対比。 「大丈夫?」の対比の謎】 指輪と同じくして、 「須賀が無意識のうちに流した涙」と 「帆高が無意識のうちに流した涙」」も、 対になっていると考察しています。 須賀の涙は、 安井刑事から、帆高が警察署から逃げ出したこと、そして「将来を棒に振ってまで会いたい子がいる」ということを聞かされされたときに、無意識のうちに流れていた涙でした。 社会のセオリーに抗い、大事なものを大事にする姿勢を貫く帆高を感じ取り、 奥さんが晴れ女になって犠牲になってしまった時のことを思い返し、 『本当は、自分もそうしたかった』『大事なものを、大事にし続けたかった』 という、自分の本音に気付いたからだと、考察しています。 そして、安井刑事に涙について「あんた、大丈夫か?」と問われても、 何も答えられない、須賀がいました。 一方の、帆高の涙は、 物語のラストシーンで、陽菜と再会した時に、無意識に流れ落ちる涙でした。 これはおそらく、愛するものを優先し、大事なものを大事にしたという自らの選択を正しいかどうかが分からなかった帆高が、3年ぶりに陽菜と再会して「自分の選択は正しかったのだ」という安堵感からの涙なのではないかと、考察しています。 そして陽菜からの「…大丈夫?」という問いかけに対して、 「ぼくたちは、大丈夫だ」という、答えを出しています。 ・・・この一連の、 「涙」と「大丈夫」の対比から読み取れるメッセージは• 本当は、愛を犠牲にすることなく、大事なものを大事にしたいという、大人の本音。 愛を優先し、大事なものを大事にしていくことこそ、 この社会を生きて、未来を明るく晴らしていくために必要な事だという、子どもたちへのメッセージ。 『人間が誰しも本心でもっている愛を優先して、繋がっていけば、ぼくたちは大丈夫だ』 『大人も、子どもも、そうなっていこう』 という、監督のメッセージを感じます。 【須賀が表しているもの】 ここまでの須賀への謎解きで、 須賀というキャラクターが表現しているものは この社会の『大人』 であると考察しています。 ・・・つまり、社会のセオリー(常識)を優先し、 この社会に従って生きるうちに、 愛を犠牲にし、大事なものを大事にすることができなくなってしまった、 現代の大人たちを象徴的に表しているキャラクターであると、考察しています。 ・・・そして須賀は最終的に 大人になって、帆高を諦める立場から、 帆高に協力する立場に、変化します。 この須賀の変化から、 「この社会のセオリーに染まって、大事なことを犠牲にできるようになった大人」が、 「大事なものを大事に出来る、愛を優先できる大人」に、 変わる事が出来た。 という、大きなメッセージがあります。 【精霊馬は誰がおいたの?】 引用元:エンタメブリッジ 晴れ女をつかさどる祭壇(?)には、 陽菜が晴れ女になる前から、精霊馬がお供えされていました。 いったい誰が、精霊馬をお供えしたのか? という事もまた、聴衆の疑問だったと思います。 ・・・これは、上記の考察から、 「須賀が精霊馬をお供えしていた」と考えると、つじつまが合います。 【帆高と須賀は、どこが似ているのか?】 主人公の穂高と須賀は「この二人はよく似ている」と、周りから言われる描写があります。 どこが似ているのか?という謎についてですが、 過去の経歴という部分もそうですし、 なにより 「本音では、愛を優先したい二人」という事だと、解釈しています。 そして、それぞれその本音を持ちながら、それに対する選択が違ったという事が、対になっています。 【エンドロールの須賀の順番の謎】 引用元:読書シンドローム 須賀について、特に謎だと思わせるのが、 物語が終わった後の、エンドロールで表示される順番が、 須賀圭介はなぜか、最後。 という事ではないでしょうか? 物語を表面的見れば、須賀は、 帆高、陽菜につぎ、3番目くらいに表示されていそうなキャラクターですが、 実のところ、全登場人物の中で、 最後に表示されていました。 …これは、メッセージ性を感じてしまいます。 ぼくは、須賀の声優を務めた「小栗旬」さんが、ぼくの母校の卒業生ということもあり、応援していたこともあり、 『エンドロールでしっかり名前を見たいな』という願望がありました。 そしてエンドロールを追っていたのですが、 『え、小栗旬(須賀圭介)最後なの?』 と、思いました。 さて、ここには、どんなメッセージが隠されているのでしょうか? エンドロールの須賀の順番に隠された謎の解説 須賀は、「天気の子」の、もう一人の主人公。 という事なのだと解釈しています。 だから、サブキャラとしての、3番目あたりの妥当なエンドロールのポジションではなく、 「最後」というポジションだったのだと、考察しています。 先述した通り、 この映画は「子ども」と「大人」が、印象的に分けられて描かれています。 そしてさらに先述した通り、 須賀は 「現代社会の大人」を表しており、 一方の帆高は 「現代社会の子ども」を表しています。 主人公の帆高というキャラクターを通じて、 「子どもたちは、この社会でどう生きればいいのか?」というメッセージを伝え 須賀というキャラクターを通じて、 「大人たちは、この社会でどう生きればいいのか」というメッセージを伝えているのだと、ぼくは解釈しています。 つまりは、 子どもサイドの、表の主人公が、帆高。 大人サイドの、裏の主人公が、須賀 ということなのではないか?と考察しています。 そして、子どもには 「社会のセオリーから外れようとも、愛を優先し、与える事を優先し、大事なものを大事にして、繋がって生きよ」 というメッセージを。 そして、大人には 「社会のセオリーに染まってしまっていたとしても、これから抜け出せる。 愛を優先し、 与える事を優先し、大事なものを大事にして、繋がって生きよ」 というメッセージを、この映画を視聴している「子ども」と「大人」へ、それぞれ送っているのだと考察しています。 【「ぼくたちは大丈夫だ」の意味】 この物語は、「ぼくたちは大丈夫だ」という、突拍子もないセリフで、締めくくられます。 「なにがやねん」 「何が大丈夫なのか?」 …という疑問を持たれた方も、多いと思います。 「大丈夫」って、捉え方によっては、すごく投げやりに聞こえる言葉です。 見方によっては、監督が、答えを出すことを諦めたかのように見える、言葉です。 「大丈夫」の意味の考察 最後のシーンの、帆高の「ぼくたちは大丈夫だ」の意味を考察するに、 帆高が最終的に決断した、 「愛を優先して、愛のある関係性を繋げていく」 という、この姿勢があるから、 この社会でぼくたちは希望をもって生きていくことができる。 だから、ぼくたちは大丈夫だ。 ・・・という意味で、 この映画の問いかけへの答えとして 「ぼくたちは大丈夫だ」 で締めくくられたのだと、考察しています。 この雨が降る、閉塞感のある暗い社会。 未来への希望(晴れ)が見えない、この社会。 大事なものを犠牲にすることで成り立っている、この社会。 こんな社会でも、 「愛を優先し、人と繋がり、大事にし続ける関係性を広げていく」という方向性を貫けば、 互いに互いを、支え合い、 互いが互いに、与えあい、 互いが互いを、愛し合うことで ぼくたちの未来は、大丈夫になる。 希望(晴れ)が見えるようになる。 そして、この関係性が広がっていくことで、 いつしかこの社会も、大丈夫になる。 ・・・という、問いかけへのアンサーでもって 「ぼくたちは大丈夫だ」というセリフがあるのだと、ぼくには見えます。 【新海誠作品に共通している「モヤモヤ感」の正体の考察】 新海誠監督あるあるですが、 この「天気の子」もまた、全体的に「モヤモヤ感を覚えさせる演出」が多かったように感じます。 演出のほかにも、 謎のあるシーンだったり 意味深なシーンだったり ・・・そういった全体的な要素が、この「モヤモヤ感」を演出していると考えています。 『新海誠監督の作品に通じる、モヤモヤ感は何なのか?』 …この部分について、ぼくなりの解釈があります。 新海誠監督「天気の子」みてきました。 やっぱり背景の描写が凄まじい。 個人的に新海誠監督は「モヤモヤ感の表現のスペシャリスト」だと思っていて、誰もが感じているような、いないような、深い所で共感できるそういうモヤモヤ感の表現力がすごいなって。 メッセージ性については考察が必要ですね。 — かつぜん rinrism ぼくのTwitterでも述べましたが、 新海誠監督は 「モヤモヤ感の表現のスペシャリスト」だと、ぼくは思っています。 つまり、どういうことかと言うと、• 誰しもが心の奥底で感じている、思い• 誰しもが心の奥底で悔いている、過去• 誰しもが心の奥底で抗っている、現実• 誰しもが心の奥底で願っている、未来 など、誰しもが、 気づいているか、気づいていないかくらいの、無意識レベルの心の奥底で感じている【思い】を、 映画で芸術的に表現している事が、この「新海誠作品のモヤモヤ感」の正体であると、考えています。 この 「天気の子」に照らし合わせて考えてみれば、 この社会を生きるほとんど全ての人の共通の思いとして、• この社会は、このままでいいのか?• 自分の未来は、明るいのだろうか?• しっかり考えなくてはいけないけれど、考えている余裕がない。 という、ぼんやりとした思いや不安や葛藤を、抱えていると思います。 そして、その【思い】を新海誠監督が映像作品として表現したのが「天気の子」であると思っています。 ・・・こういった心の奥底にある、 モヤっとした、掴みづらいテーマを表現するという分野において、 新海誠監督は、まさに天才であると思っています。 以前の作品までは、そのモヤモヤの焦点を「恋愛」に置いた作品が多かったように感じます。 そして、今回の天気の子では「社会の現実と未来」というものに焦点を当てています。 作品を重ねるごとにテーマと価値が深まっていく、新海誠監督の今後の活躍が、本当に楽しみです! 【「もともと、世界は狂っている」の言葉の意味の考察】 須賀の最後の方の印象的なセリフで 「自惚れるな、お前たちが世界の形を変えたなんて思いあがるんじゃねえ」 「もともと、世界は狂っている」 というセリフがありました。 そうです。 世界は、この社会は、もともと狂ってしまっています。 ・・・こんな社会の、犠牲になる必要なんてない。 という、監督の強いメッセージを感じます。 この映画が、7月19日という、中高生の夏休みシーズンに公開されたことにも、集客の目的以上の意味を感じます。 日本が抱えている現実の問題として、 夏休みが明ける9月1日は、 中高生の自殺が、最も増加する日です。 本当に重く、本当にどうにかしなくてはならない問題です。 この社会の歪みのしわ寄せが来てしまう、弱い立場である若者。 この社会に希望を見いだせなくなってしまった、若者。 彼らが未来の希望を抱けるようになるために、 その答えを持った「天気の子」という作品を、このシーズンに公開したのではないかと、ぼくは思います。 というテーマ(問いかけ)とメッセージ(アンサー)を持った、 聴衆に〈当事者〉として考えさせ、参加させる映画であったと、考察しております。 挑戦的なテーマでしたが、 でも、公開34日目にして、100億円を突破したそうです。 …これはきっと、多くの人が〈当事者〉として、この映画のテーマに関心を持ったがゆえの、結果だと思います。 ここに、希望を感じます。 まさに、今の我々が生きる社会は、 この映画の中のように、雨が降り続いている状態です。 この社会には様々な問題があり、解決されずに長期化しています。 ほとんど全ての人が、心の奥底に「生きづらさ」「息苦しさ」を感じていると思います。 例を挙げるならば、 ぼくが特に見過ごせないのは• 他にも日本は、数々の、酷い世界一を記録してしまっている国です。 (食品添加物の種類、遺伝子組み換え食品の種類、水道水の塩素濃度、農薬使用量、残飯廃棄量、ペットの殺処分数など、それぞれが世界一、など) 狂ってしまっています。 そして、 『大事なものを、目いっぱい大事にすることが出来ていますか?』という問いかけに、 心からYESと答えられる人は、ほとんどいない社会です。 こんな社会でも、 「自分は大丈夫」と思えるかもしれません。 自信があるのは良い事です。 でも、考えてみてほしい。 あなたの大事な人は、大丈夫じゃないかもしれない。 あなたの大事な人の大事な人は、大丈夫じゃないかもしれない。 こんな社会では、大事な人を守り抜ける、自信が持てない。 ・・・ だったら、この社会で生きていくために、 我々は、繋がっていかないといけない。 互いに愛を優先して、 互いに与える事を優先して、 互いが互いを保障する事を優先して、 繋がっていかないといけない。 この「繋がり」を拡大し続ける事こそが、 本当の意味で、私たちを、そして社会を、大丈夫にしていく。 この社会と、この問題に対して、 当事者として向かい合って、 そして、繋がっていこう。 ・・・この映画と同じように、ぼくもそう考えています。 『愛の方向性で繋がり続ける』 これこそが、いまぼくたちに必要な事だと、強く思います。 これまで、いろんなテーマでブログを書いてきて、 共感してくれて、メッセージや相談をくれて、実際に繋がる事が出来た人が、たくさんいます。 本当に嬉しい事です。 もっともっと活動を拡大して、 もっともっと繋がっていきたいと、強く願います。 その一環として、ブログ更新はもちろん メールで悩み相談を受け付けたり YouTubeでぼくが学んできた人生の知恵を配信したり Twitterとinstagramを更新しています。 ぜひ、何か共感するものがありましたら、 お気軽にコメントやメールをください(^^) 愛にできることは、まだあるかい? ぼくにできることは、まだあるかい? 愛にできることは、まだあるよ。 ぼくにできることは、まだあるよ。 長くなりましたが、 読んで下さり、ありがとうございました。 (^^) かつぜんです。 心と思考の明確家【Clearist(クリアリスト)】として活動しています。 『より良い社会を作りたい。 困っている人を助けたい。 』 この思いのもと、ネットでブログやYOUTUBEでの情報発信活動。 対面にてカウンセリング・コーチングの活動をしています。 関わった人の「心と思考」をすっきり明確にし、皆の悔いのない人生のために全力で貢献していきます。 この社会には、余りにも多くの「嘘」「捏造」「曖昧」「複雑」な情報が存在しています。 そして、悩みや問題に直面しても解決ができいなモヤモヤした状態に陥り、自分の理想と現実というものがどんどん食い違っていきます。 …この解決のために、ぼくがいます。 お気軽に何でもご相談ください。 出来る限りお答えします。 huku ラストシーンで 大学生になる帆高と 親がいない高校生の陽菜が再会して 大丈夫だという曲を流すのってすごいなと思います。 陽菜と凪は生活費をどうしているのか それを映画では述べていなくて 「お前らが帆高にさわるんじゃない」と言った須賀さんが身元保証人になられているのかと。 猫の雨が招き猫となって事務所の仕事を大幅に増やして、 その結果 陽菜と凪の面倒を見ることができて。 貫禄ついた雨を見たらその展開に納得できるかと (猫の恩返しの話だったりして) 帆高が身寄りのない雨を ほっておけなくて 事務所に置いて、 その結果うまくいったわけで。 ほっておけない と思うことでうまくいったわけで ほっておけない がメインテーマだと思います hukuさん コメントをありがとうございます! それもまた、1つの「観え方」ですね! 人間、実は一人一人、この「観え方」が違っています。 同じものを見ても、受け取り方は、十人十色、多種多様です。 そして、それが素晴らしいなって、それが人間の個性の素晴らしさだなって、ぼくは思います。 そして、そう言う「観え方の多様性」「受け取り方の多様性」というものを生み出してくれる、新海誠監督が描くような芸術作品は、本当に価値があるなって、思います。 これは、人間に、本当は誰しもに備わっている感情だと思います。 この感情は大事な感情です。 この感情を大事にできる人がたくさん増えるような、社会にしたいなって思います!.

次の

天気の子の考察|チョーカーや東京水没や拳銃や本で伝えたいことは?|MoviesLABO

天気の子 考察

実は、新海誠監督の思想は、『死にいたる病』で解説できるのです。 じゃあ、その『死にいたる病』とは、どんな内容なのでしょうか? キルケゴールの『死にいたる病』とは? キルケゴールが書いた『死にいたる病』とは、どんな内容なのでしょうか? 『死にいたる病』とは、病気のことではありません。 キルケゴールは、『死にいたる病』とは、絶望のことだと言っています。 「私、全然絶望していないしなー」と思った方。 本当でしょうか? みなさんは、こんなこと考えたことはないでしょうか? 「何者かになりたい!理想の私になりたい!何かをしなければいけない!」 多分全員が考えたことがありますよね。 ですが、理想の自分になれた人は、何人いるでしょうか?それは0人です。 なぜかというと、理想の自分とは、完全にパーフェクトな自分だから。 完全な自分とは何でしょうか?そんなもの、この世に存在するのでしょうか? 実は、完全なものなど、この世に存在しないのです。 完全な球体は、接地面積が0になるので、浮いていることになります。 しかし実際には、浮いている球体なんて、ありませんよね笑。 この矛盾をキルケゴールは、絶望と読んでいます。 絶望に対する特効薬 キルケゴールは、そんな絶望しかない世界にも特効薬を用意してくれています。 その特効薬とは、可能性だとキルケゴールは言っています。 「どこかに完全な自分になる方法があるんじゃないか?」と可能性を提示されれば、人間は絶望に押しつぶされないのです。 完全な自分を作り出せる能力があるものとは、何でしょうか? それは、全知全能の神様しかいませんよね。 完全な球体も全能を持ってしか、作り出せません。 これがキルケゴールの著書『死にいたる病』の内容です。 新海誠映画は、『死にいたる病』である キルケゴールの『死にいたる病』の内容は、新海誠映画と共通しているのです。 キルケゴールは、『死にいたる病』で、人間の内面には絶望が広がっていることを発見しました。 人間は、誰しも絶望を抱えて生きていると。 人類共通の悩みが、絶望なのです。 このキルケゴールがいう絶望を新海誠監督は、大災害として描いています。 大災害は、多くの人が巻き込まれる、避けようのない絶望ですからね。 そして、キルケゴールは、その絶望から救われるためにどうしたらいいのかを語っていて、それは可能性を信じることだとしています! 可能性とは、人生は絶望なんだけど、人生のどこかに救いはあるのかもしれないと考えること。 抜け道があるのかもしれないと考えることです。 新海誠監督の映画では、可能性を恋愛で表現しています。 『死にいたる病』は、新海誠の映画の構造にも共通しているのです。 新海映画の『死にいたる病』置き換え部分• 絶望を大災害で。 可能性を恋愛で。 世界は絶望に満ちているけど、どこかに救いはあるのかもしれない…その可能性を恋愛として描いているのが新海誠監督の映画なのです! キルケゴールが書いた究極の可能性とは? 可能性を信じることが、絶望から救われる唯一の方法だとキルケゴールは言いました。 しかし可能性なら、なんでもいいのかというと、ちょっと違います。 例えば、宝くじの1等が当たることと、コンビニで700円買ったら引けるクジが当たることの喜びは、同列ではないですよね。 キルケゴールは、最高の可能性についても言及しています。 じゃあ新海誠監督の映画では、最高の可能性をどうやって見せているでしょうか? 新海誠監督の映画の最高の可能性とは、タイムトリップだったり、晴れにする力のことです。 なんで新海誠監督が映画の中で、1つだけ奇跡と言えるような設定を描くのでしょうか? それは、人知を超えた能力を描くことで、最高の奇跡を表現しているのです。 タイムトリップや晴れにすることは、神様じゃないとできませんからね。 【まとめ】新海誠監督は、映画で何がしたいのか? 新海誠監督は、何を表現したくて映画を作っているのでしょうか? それはキルケゴールの哲学をひも解くことで、理解できます。 新海監督が、映画で表現したいこと 新海誠監督は、題材として大災害を選ぶことで、人間の内面にある絶望を描きました。 そして、恋愛を描くことで、人間の可能性を。 さらに奇跡を描くことによって、最高の可能性を表現しているのです。 新海誠監督は、『天気の子』のパフレットの中で、こんな話をしています。 「現代の日本は、貧困化していて、天気の子のヒロインである陽菜ちゃんのような境遇の人が多くいる」と。 天気の子の陽菜ちゃんは、悲劇的な境遇ですよね。 陽菜ちゃんは中学生なのに、母親が亡くなって、弟と2人で生きていかなければいけない。 でも実際に陽菜ちゃんのような境遇の人は、現実にたくさんいます。 現実は、そんか絶望にあふれていて、映画を見る人の内面にも絶望があふれています。 そこに可能性を見せてあげようとするのが、新海誠監督の映画ではないでしょうか? 新海誠監督は、絶望から観客を救い出すことを使命として映画を作っているのです! それでは、大葉せんせいでした。

次の