舞鶴 赤野。 赤野(舞鶴市)

赤野(舞鶴市)

舞鶴 赤野

友歩会 多禰寺山・舞鶴引揚記念館 多禰寺 山頂にて 友歩会 定例会(耐暑登山) 多禰寺山 標高556. 3m 舞鶴引揚記念館 友歩会2007年8月定例会は京都府舞鶴市と福井県高浜町の若狭湾に突き出た半島大浦半島に行った。 福井県側には高浜原子力発電所、青葉山などがある。 京都府側には多禰寺、多禰寺山、滝宮浜などの海水浴場、引揚記念館、青葉山の麓には松尾寺などがある。 今回は大浦ハイランド前から多禰寺山に登り、多禰寺に下り、お参りして下山後、引揚記念館を見学する計画だ。 多禰寺山は大浦森林公園として整備されていて東コース、西コース、大浦ハイランドからのコースなどがある。 酷暑の例会で耐寒登山の反対語になるか分からないが「耐暑登山」をすることになった。 折りしも舞鶴で体温以上の気温が続いているとかで実施が躊躇された。 この時期青春18切符で大阪、京都から東舞鶴駅に集合した。 10時32分東舞鶴駅到着。 さっそくバスターミナルへ行ってみる直射日光はかなりじんとくるが日陰は結構過ごしやすい。 小橋行きのバスに乗る、我々のほかに数組が乗車していた。 引揚記念館で数名下車運賃400円高いな。 下山する予定の赤野で500円、ここから少し値打ちが出て山道を登り大浦ハイランド前で下車、600円也。 赤野のバス停で標高約30m、約3km走って、大浦ハイランドで約200mとこの間100円はお値打ちだ。 バスはほぼ舞鶴湾に沿って走る。 自衛隊の教育隊前を過ぎると左手には白い橋、クレインブリッジが目立つ。 この橋の向こうに見える大きな山が多禰寺山だ。 山の緑と白い橋そして海の色が調和して美しさをかもしだしている。 山道を登って三浜峠を越えると大浦ハイランド前に着く。 大浦ハイランドは舞鶴市の自然休暇村だ。 休暇村には宿泊施設のほかテニスコートや食堂、浴室などがある。 ただバスの便が少ないのが難点だ。 11時20分多禰寺山へ登山開始、とは言っても標高差350mで約3km、1時間余りで登ることができる。 登山道は草生しているが足元にはたくさんの小さな花が暑さを忘れさせてくれる。 また森林公園になっているので日陰が多くこの夏の暑い時期でも登りやすい。 なんとか熱中症は心配要らないようだ。 途中1回休憩して水分補給し山頂へと歩く。 電波反射板が左手に見えてきたのもまもなく山頂だ。 東コースの分岐を過ぎるとあと100mだ。 多禰寺山の山頂は標高556.3mで一等三角点になっている。 山頂は広く登り付いた左に三角点と天測点があり、ほぼ中央に砲台跡がある。 天測点は全国に48点あるそうで、恒星を観測して緯度経度を決める天文測量に使用したそうだ。 その後測定機械技術が発達し使用されなくなった。 近くにある天測点は鷲峰山にある。 天測点に似たものは大文字山、花山天文台などに菱形基準測点、また子午線標などがある。 奥の右手には大きな石の碑がある。 碑には京都府知事荒巻禎一氏の書が刻んであった。 「望多祢山海 恵緑豊国土 平成6年3月 京都府知事 荒巻禎一」とあった。 山頂間際まで林道が来ておりここの日陰で昼食にした。 昼食後は西コースを通って多禰寺へ下る。 登山道は登りの草むら道より整備されていて快適だ。 登山道脇には2体のお地蔵様が祀ってある。 このお地蔵様は四国八十八ヶ所にちなみ山道脇にお祭りしてあり、一番が多禰寺間際にあった。 途中、高さ2mほどの1枚岩に彫られたお地蔵さんがある。 立江地蔵と言われている。 ここから青葉山が薄っすら望める。 機会があれば友歩会で登りたい山の一つだ。 車道に出るとここが西コースの登山口になっている。 ここからしばらく車道を歩いて多禰寺へ行く。 多禰寺は西国薬師第三十番霊場萩の寺の看板がかかっていた。 本尊は薬師如来で奈良時代遣唐船に祀られていたことから海の安全にご利益があるそうです。 山門には国の重要文化財、金剛力士立像「阿形(あぎょう)」と「吽形(うんぎょう)」は3.5mを越え、すばらしいとのことで鎌倉時代の作だそうです。 山門には写真が貼ってありました。 多禰寺から赤野への下山はうっそうとした一部竹薮になった森林帯下った。 赤野バス停に降り立ちここからバスがないので歩いて引揚記念館まで約3kmを歩いて行く。 舞鶴湾には多くの杭のようなものがいっぱいある。 よく分からなかったが引揚記念館に行って解決した。 桟橋の脚の部分だったのだ。 湾をぐるーっと回り込み、平工業団地から引揚記念館へと熱中症に気をつけながら歩く。 右下のベニヤ板の工場から煙や蒸気が一面立ち込め匂いもすごい。 舞鶴引揚記念館に到着、しばらく見学した。 第二次世界大戦が終わった時点で海外に取り残された軍人、一般邦人は600万人以上。 昭和20年9月から舞鶴はじめ引揚湾で引揚の大事業が始まった。 なかでも舞鶴は最後の最後まで重要な役割を果たし、66万人余りを受け入れたということだ。 引揚の様子がるるパネル等で説明されているが戦争の悲惨さがひしひしと伝わってきた。 戦争のない平和な世界を望むがまだあちこちとの国で戦争がなくならないのは残念なことだ。 余韻を残しながらバス待ち時間が1時間もありタクシーで東舞鶴駅に戻った。 帰路もまた18切符で列車に揺られて帰途についた。 熱中症を気にしながら真夏の耐暑登山だったが無事終了。 また引揚記念館見学と意義ある一日だった。 お疲れ様でした。 多禰寺山・舞鶴クレインブリッジ バス車窓より 大浦ハイランド登山口の案内板 大浦ハイランド側登山口 木漏れ日の登山道を行く 竜宮浜海水浴場方面が見える 緑の登山道 休憩 水分補給 林道側入口分岐 東コース分岐 多禰寺山山頂標識 多禰寺山 一等三角点 多禰寺山 一等三角点 多禰寺山 天測点 多禰寺山 天測点の銘板 多禰寺山 一等三角点と天測点 多禰寺山 砲台跡 京都府知事の碑 舞鶴湾を望む 下山開始 東屋 下山道・多禰の盛側入口へをとる 立江地蔵 青葉山の遠望 西コースの登山口 舞鶴湾 多禰寺から 多禰寺の山門 金剛力士像(写真) 実物は宝物殿に 多禰寺 山門 多禰寺 本堂 多禰寺山 平・赤野浄化センター近くより 平工業団地と多禰寺山・舞鶴湾 舞鶴引揚記念館 モニュメント 舞鶴引揚記念館 平和の近い碑文 舞鶴引揚記公園 異国の丘と岩壁の母の歌碑 舞鶴湾と多禰寺山 引揚記念公園より 海の点々は桟橋の橋脚 東舞鶴駅にタクシーで戻ったため時間が少しできたので東舞鶴市の道路元標の探訪に向かった。 駅前から北へ延びる東舞鶴停車場線23号を北へ行き、国道23号線の交差点、大門三条交差点の南西角にあった。

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友歩会 多禰寺山・舞鶴引揚記念館

舞鶴 赤野

友歩会 多禰寺山・舞鶴引揚記念館 多禰寺 山頂にて 友歩会 定例会(耐暑登山) 多禰寺山 標高556. 3m 舞鶴引揚記念館 友歩会2007年8月定例会は京都府舞鶴市と福井県高浜町の若狭湾に突き出た半島大浦半島に行った。 福井県側には高浜原子力発電所、青葉山などがある。 京都府側には多禰寺、多禰寺山、滝宮浜などの海水浴場、引揚記念館、青葉山の麓には松尾寺などがある。 今回は大浦ハイランド前から多禰寺山に登り、多禰寺に下り、お参りして下山後、引揚記念館を見学する計画だ。 多禰寺山は大浦森林公園として整備されていて東コース、西コース、大浦ハイランドからのコースなどがある。 酷暑の例会で耐寒登山の反対語になるか分からないが「耐暑登山」をすることになった。 折りしも舞鶴で体温以上の気温が続いているとかで実施が躊躇された。 この時期青春18切符で大阪、京都から東舞鶴駅に集合した。 10時32分東舞鶴駅到着。 さっそくバスターミナルへ行ってみる直射日光はかなりじんとくるが日陰は結構過ごしやすい。 小橋行きのバスに乗る、我々のほかに数組が乗車していた。 引揚記念館で数名下車運賃400円高いな。 下山する予定の赤野で500円、ここから少し値打ちが出て山道を登り大浦ハイランド前で下車、600円也。 赤野のバス停で標高約30m、約3km走って、大浦ハイランドで約200mとこの間100円はお値打ちだ。 バスはほぼ舞鶴湾に沿って走る。 自衛隊の教育隊前を過ぎると左手には白い橋、クレインブリッジが目立つ。 この橋の向こうに見える大きな山が多禰寺山だ。 山の緑と白い橋そして海の色が調和して美しさをかもしだしている。 山道を登って三浜峠を越えると大浦ハイランド前に着く。 大浦ハイランドは舞鶴市の自然休暇村だ。 休暇村には宿泊施設のほかテニスコートや食堂、浴室などがある。 ただバスの便が少ないのが難点だ。 11時20分多禰寺山へ登山開始、とは言っても標高差350mで約3km、1時間余りで登ることができる。 登山道は草生しているが足元にはたくさんの小さな花が暑さを忘れさせてくれる。 また森林公園になっているので日陰が多くこの夏の暑い時期でも登りやすい。 なんとか熱中症は心配要らないようだ。 途中1回休憩して水分補給し山頂へと歩く。 電波反射板が左手に見えてきたのもまもなく山頂だ。 東コースの分岐を過ぎるとあと100mだ。 多禰寺山の山頂は標高556.3mで一等三角点になっている。 山頂は広く登り付いた左に三角点と天測点があり、ほぼ中央に砲台跡がある。 天測点は全国に48点あるそうで、恒星を観測して緯度経度を決める天文測量に使用したそうだ。 その後測定機械技術が発達し使用されなくなった。 近くにある天測点は鷲峰山にある。 天測点に似たものは大文字山、花山天文台などに菱形基準測点、また子午線標などがある。 奥の右手には大きな石の碑がある。 碑には京都府知事荒巻禎一氏の書が刻んであった。 「望多祢山海 恵緑豊国土 平成6年3月 京都府知事 荒巻禎一」とあった。 山頂間際まで林道が来ておりここの日陰で昼食にした。 昼食後は西コースを通って多禰寺へ下る。 登山道は登りの草むら道より整備されていて快適だ。 登山道脇には2体のお地蔵様が祀ってある。 このお地蔵様は四国八十八ヶ所にちなみ山道脇にお祭りしてあり、一番が多禰寺間際にあった。 途中、高さ2mほどの1枚岩に彫られたお地蔵さんがある。 立江地蔵と言われている。 ここから青葉山が薄っすら望める。 機会があれば友歩会で登りたい山の一つだ。 車道に出るとここが西コースの登山口になっている。 ここからしばらく車道を歩いて多禰寺へ行く。 多禰寺は西国薬師第三十番霊場萩の寺の看板がかかっていた。 本尊は薬師如来で奈良時代遣唐船に祀られていたことから海の安全にご利益があるそうです。 山門には国の重要文化財、金剛力士立像「阿形(あぎょう)」と「吽形(うんぎょう)」は3.5mを越え、すばらしいとのことで鎌倉時代の作だそうです。 山門には写真が貼ってありました。 多禰寺から赤野への下山はうっそうとした一部竹薮になった森林帯下った。 赤野バス停に降り立ちここからバスがないので歩いて引揚記念館まで約3kmを歩いて行く。 舞鶴湾には多くの杭のようなものがいっぱいある。 よく分からなかったが引揚記念館に行って解決した。 桟橋の脚の部分だったのだ。 湾をぐるーっと回り込み、平工業団地から引揚記念館へと熱中症に気をつけながら歩く。 右下のベニヤ板の工場から煙や蒸気が一面立ち込め匂いもすごい。 舞鶴引揚記念館に到着、しばらく見学した。 第二次世界大戦が終わった時点で海外に取り残された軍人、一般邦人は600万人以上。 昭和20年9月から舞鶴はじめ引揚湾で引揚の大事業が始まった。 なかでも舞鶴は最後の最後まで重要な役割を果たし、66万人余りを受け入れたということだ。 引揚の様子がるるパネル等で説明されているが戦争の悲惨さがひしひしと伝わってきた。 戦争のない平和な世界を望むがまだあちこちとの国で戦争がなくならないのは残念なことだ。 余韻を残しながらバス待ち時間が1時間もありタクシーで東舞鶴駅に戻った。 帰路もまた18切符で列車に揺られて帰途についた。 熱中症を気にしながら真夏の耐暑登山だったが無事終了。 また引揚記念館見学と意義ある一日だった。 お疲れ様でした。 多禰寺山・舞鶴クレインブリッジ バス車窓より 大浦ハイランド登山口の案内板 大浦ハイランド側登山口 木漏れ日の登山道を行く 竜宮浜海水浴場方面が見える 緑の登山道 休憩 水分補給 林道側入口分岐 東コース分岐 多禰寺山山頂標識 多禰寺山 一等三角点 多禰寺山 一等三角点 多禰寺山 天測点 多禰寺山 天測点の銘板 多禰寺山 一等三角点と天測点 多禰寺山 砲台跡 京都府知事の碑 舞鶴湾を望む 下山開始 東屋 下山道・多禰の盛側入口へをとる 立江地蔵 青葉山の遠望 西コースの登山口 舞鶴湾 多禰寺から 多禰寺の山門 金剛力士像(写真) 実物は宝物殿に 多禰寺 山門 多禰寺 本堂 多禰寺山 平・赤野浄化センター近くより 平工業団地と多禰寺山・舞鶴湾 舞鶴引揚記念館 モニュメント 舞鶴引揚記念館 平和の近い碑文 舞鶴引揚記公園 異国の丘と岩壁の母の歌碑 舞鶴湾と多禰寺山 引揚記念公園より 海の点々は桟橋の橋脚 東舞鶴駅にタクシーで戻ったため時間が少しできたので東舞鶴市の道路元標の探訪に向かった。 駅前から北へ延びる東舞鶴停車場線23号を北へ行き、国道23号線の交差点、大門三条交差点の南西角にあった。

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友歩会 多禰寺山・舞鶴引揚記念館

舞鶴 赤野

先代が「あっさり漬」という商品名を考え、世に送り出して早や半世紀近く 当時は全て手作業での商品作りでありました。 創業者である先代は夏の日は熱くうだるよう時も、又冬の日はかじかんだ指をさすりながらお客様に喜んで頂ける商品作りに「まっすぐ」な職人でした。 又その「まっすぐ」さは、がんこなまでに決め事を守るという姿勢をも私たちに残してくれました。 現在は食品製造に求められる衛生管理等には率先して最新鋭の機械化を推し進めていますが先代から受け継がれる「まっすぐ」さは今も全社員に綿々と受け継がれております。 その昔信州名産の野沢菜を舞鶴の赤野という地区で冬期間のみ栽培して頂き、製品作りをした経験があります。 その経験がやがて全国の契約農家さんとの出会いに繋がりました。 そんな中、度重なる台風と集中豪雨により野菜原料が激減した年の事、全国の農家さんや市場関係者の方々にご尽力頂いた際「僕らチームあっさりだから」と自然に皆さんが声を掛け合って何とか供給して頂くことが出来ました。 この「チームあっさり」という仲間づくりも野菜原料に対する「まっすぐ」な思いから生まれたものです。 わたし達には多様な経験を積んだ仲間が沢山います。 長きに渡って大切に受け継がれた伝統を大切にしながらも新しい事への挑戦。 その相反するテーマに漬物作りへの「まっすぐ」な想いが多様なヒラメキを生み出し、これまでにない新しいおいしさを作り出す原動力となると信じて・・・ 先人たちのたゆみない努力と漬物作りへの「まっすぐ」さを大切に、これからもわたし達は日々研鑽を続けてまいります。 どうか今後とも変わらぬご愛顧を賜りますようよろしくお願い申し上げます。 有限会社あっさり漬食品工業 代表 嵯峨根 隆文 会社概要 会社名 有限会社あっさり漬食品工業 代表者 嵯峨根 隆文 事業内容 各種漬物の製造・卸・販売 所在地 店舗 あじわい香房店 〒624-0945 京都府舞鶴市字喜多1105-50 本社 〒624-0946 京都府舞鶴市字下福井小字新宮1183-7 電話番号 0773-76-2511 FAX番号 0773-77-1697 沿革 1957年6月 創業者嵯峨根篤二が当時営んでいた八百屋業の傍ら、自宅の一部を改装し漬物製造及び販売を始める 1970年 創業者の父米蔵死去に伴い、八百屋業を廃業し漬物製造を専業とする1974年 舞鶴市倉谷において漬物専用工場建設稼働開始 1978年 法人化 1981年 本社を当時の舞鶴市地方公設市場場内に移転 1984年 第二浅漬工場として本社隣接建設 1994年 複数あった工場施設を一本化して福井県大飯郡高浜町日置に建設稼働開始 2015年11月 高浜工場老朽化と生産量増加に伴い、舞鶴市喜多に営業部門と製造部門を集約した新工場を建設稼動。 現在に至る アクセス.

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