緒方 り ず。 緒方孝市

緒方 (おがた)

緒方 り ず

略歴 [ ] 卒業、在学中。 大学在籍時には演劇研究会に所属した。 よりに所属。 より声優ユニット「」にメンバーとして参加する。 人物 [ ] 体を動かすことが得意で、特技は。 やの経験がある。 趣味は巡り。 巡りも好む。 好きなアニメは『』。 元々はを目指して上京した。 大学時代に友人に誘われて演劇サークルに入り、そこで初めてというものに触れて演劇の楽しさを知り、もも学べる場所として日本ナレーション演技研究所に入所。 緒方は同養成所が声優を目指して入所する人が多い場所だとは知らなかったものの、入所後に声優になればナレーションの仕事の芝居の仕事もできることに気づき、声優を目指すようになったという。 出演 [ ] 太字はメインキャラクター。 テレビアニメ [ ]• (2018年)• (2018年、市民)• (2020年、女子) Webアニメ [ ]• (2020年、看護師、女子高生) ゲーム [ ]• アルテイルNEO(2019年、追う者『リヴェイラ』 )• (2019年、 月居ほのか )• デス エンド リクエスト2(2020年、アビゲイル・ウィリアムス )• CUE! ・緒方佑奈の検証TV! (2019年 - 、 )• ・周知広報動画「~ワイドFM全国展開へ! 』関連曲 Flower 「Forever Friends」 2020年 1月22日 Knocking on My Dream!! Flower 「Knocking on My Dream!! 」 「One More Step! 」 「our song」 ゲーム『CUE! 「Red or Blue? ぼくのヒーロー(2018年1月20日、、) - 作 脚注 [ ] [] ユニットメンバー• アニメハック. 2019年9月15日閲覧。 2019年9月15日閲覧。 株式会社ザメディアジョンのプレスリリース. PR TIMES 2017年12月21日. 2019年9月15日閲覧。 男女共同参画市民フォーラム実行委員会. 廿日市市. 2019年9月16日閲覧。 広島なぎさ中学校・高等学校 2016年1月. 2019年9月16日閲覧。 慶應義塾演劇研究会6月新人企画「海底」 [ 2016kaitei] 2016年6月8日. ツイート. より 2019年9月16日閲覧。 2019年9月15日閲覧。 アイムエンタープライズ 2019年4月2日. 2019年11月3日閲覧。 マイナビニュース 2019年9月9日. 2019年9月15日閲覧。 インタビュー. 2019年11月7日閲覧。 someyan 2019年2月25日. AppBank. 2019年9月16日閲覧。 リベル・エンタテインメント. 2019年9月15日閲覧。 『』2020年1月2日号、、2019年12月19日。 鯉のはなシアター. 2019年9月16日閲覧。 moca-モカ-. 2019年6月26日. 2019年9月16日閲覧。 2020年3月1日. 2020年6月18日閲覧。 2020年3月16日. 2020年6月18日閲覧。 外部リンク [ ]•

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緒方洪庵(おがた こうあん)とは

緒方 り ず

来歴・人物 [ ] 選手時代 [ ] 時代は1番・を務め、3年時にはへ連続で出場。 チームメイトにエースの、二番手投手の、外野手の杉本拓也(からドラフト6位指名を受けるも入団拒否)がいた。 ので(巨人)から6位指名を受け入団。 入団後に転向。 入団2年目のにでの盗塁王を獲得。 また、同リーグタイ記録となる1試合6を記録している。 なお、緒方の応援歌がこの時までに作成されたが、その応援歌は初代リリーフ・マーチの歌詞を変更して流用したものであった。 に一軍公式戦初出場を果たし、後の正遊撃手となるとのポジション争いには敗れるが、外野を兼任して出場機会を獲得。 ランニングホームランで一軍初を記録するなど、打席数は少ないながら打率3割8厘、13盗塁の成績を残した。 同年に台頭したが高校の2年先輩であったため「熊工コンビ」としてメディアに取り上げられ、とりわけ若い女性の人気を集めた。 また、へ出場している。 には腰痛で長期離脱したの穴を埋める活躍で初の到達を果たすと共に33盗塁でと並び初のを獲得したが、で一塁に駆けこんだ際にを故障。 この影響では出場機会を減らし、盗塁数も激減した。 は終盤、故障でまともに出場できない状況であったが、監督のはビジターの試合で2番で先発させ、1回の表に打席を完了すると回の裏から他の選手を守備に就かせて(出塁時は代走が送られた)打席数を稼ぎ、規定打席に到達させた。 にはケガから復活し、24盗塁でと並び2度目の盗塁王を獲得。 の盗塁王としては、セントラル・の2リーグ制開始以降、最も少ない記録だった。 緒方以降、2011年のまで巨人からは18年間盗塁王が誕生しなかった。 また、巨人で複数回盗塁王を獲得したのは2019年シーズン終了時で緒方が最後である。 は守備・走塁のスペシャリストとして活躍し、後に伝説の一戦と呼ばれた「」にもに変わって守備で途中出場した。 ではファインプレーを見せた他、第5戦で勝利を決定づける満塁本塁打を放ち、監督に「ミラクルボーイ」と言わしめた。 その後、アキレス腱や腰痛など故障により満足なプレーができず、に30歳で現役を引退した。 引退後 [ ] より、(TBS) とプロ野球解説者契約を結ぶ。 主に「マイクを持った盗塁王」のキャッチフレーズ でナイター中継のベンチを務めた(一時期、ナイター中継の事前番組・事後番組のも担当)。 また、この頃には専門誌『』で連載しているイ・リーグのリポート記事「イースタン・チェック」も担当していた。 に巨人二軍外野守備・走塁コーチへ就任、などに自己のノウハウを伝授した後、に退団。 からまで再びTBSラジオでベンチリポーターを務めたのち、に巨人二軍外野守備・走塁コーチへ復帰した。 から一軍外野守備・走塁コーチに就任。 また、同年(2009 WBC)の外野守備・走塁コーチに就任、の本大会では一塁ベースコーチとして大会連覇に貢献した。 10月24日に来季の契約を更新しないことが発表され 、巨人を退団。 からTBSラジオのプロ野球中継解説者に復帰、以前とは異なり放送席での解説を担当することになった(2011年に正式復帰)。 以降は、の野球評論家も務める。 また、(系衛星放送チャンネル)の巨人二軍主管試合中継でも解説を担当。 からはTBSラジオに加え、「」 、更にでは巨人一軍戦中継の解説も担当。 10月10日に、の外野守備・走塁コーチに就任した事が発表された。 11月13日に、背番号が「 73」となった事が発表された。 から、の一軍野手総合コーチに就任。 攻撃時は三塁ベースコーチを担当する。 は一軍守備チーフ兼内野守備走塁コーチ。 攻撃時は一塁ベースコーチを担当。 シーズンからは二軍外野守備走塁コーチを務める。 人物 [ ] 愛称は「 熊本のプリンス」「 マイクを持った盗塁王」など。 非常に誠実な人柄で知られ、巨人時代は先輩後輩を問わず多くの選手・関係者に慕われた。 2度の盗塁王に輝き、89年・94年と2度の日本一に大きく貢献した功労者でありながら、「他の選手に迷惑がかかるから」という理由で引退試合を断っている。 共に外野を守ったとは親交が深く、94年の日本一パレードでも隣同士だった。 引退後も交友関係は続き、松井がに移籍した直後に独占インタビューを許可された。 巨人の外野守備走塁コーチとして、鈴木尚広を若手時代に指導。 詳細情報 [ ] 年度別打撃成績 [ ] 76 247 221 31 68 8 2 3 89 22 13 6 12 1 12 0 1 30 1. 308. 345. 403. 748 119 448 401 70 104 20 6 3 145 27 33 12 12 2 28 2 4 72 2. 259. 313. 362. 675 80 269 242 33 67 10 5 2 93 22 4 6 3 0 23 0 1 39 0. 277. 342. 384. 726 98 411 357 47 102 16 1 6 138 30 7 9 6 0 46 1 2 42 7. 286. 370. 387. 757 108 372 338 40 79 11 2 2 100 17 24 5 8 1 25 0 0 44 3. 234. 286. 296. 582 113 195 174 22 40 4 4 0 52 7 9 2 5 2 14 3 0 26 0. 230. 284. 299. 583 17 35 32 6 8 1 0 0 9 1 1 0 0 0 3 0 0 5 2. 250. 314. 281. 595 1 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ---- 73 98 86 15 18 3 0 1 24 4 5 1 3 0 8 0 1 10 0. 209. 284. 279. 563 通算:9年 685 2075 1851 265 486 73 20 17 650 130 96 41 49 6 159 6 9 268 15. 263. 323. 351. 674• 各年度の 太字はリーグ最高 タイトル [ ]• :2回(1990年、1993年) 記録 [ ]• 初出場・初先発出場:1989年5月13日、7回戦() 2番・二塁手で出場• 初安打:同上、から• 初盗塁:1989年5月24日、6回戦()• 初打点:1989年6月2日、阪神タイガース9回戦(東京ドーム) 6回裏にから犠飛• 初本塁打:1989年8月15日、17回戦(東京ドーム) 8回裏にからランニング2ラン 背番号 [ ]• 44 (1987年 - 1998年)• 73 (2002年 - 2003年、2006年 - 2010年、2013年、2018年 - 2019年)• 80 (2020年 - ) 関連情報 [ ] 著書 [ ]• 『プロが教える守備・走塁入門』(と共著。 2002年3月。 』(2012年6月。 ) 記事 [ ]• 『ザ・ベースボール』に改題した2000年は「ジャイアンツ・リポーター」の肩書(番組広告より)で出演した。 制作巨人主催公式戦中継• 2013年より日本テレビ系列地上波でも放送される中継に出演。 3月29日の対広島開幕戦中継では副音声ゲスト出演。 その後、5月28日の対ソフトバンク交流戦中継に解説として出演。 日本テレビの番組公式サイト内解説者リストには、明記されず)• 2011年より解説を担当 )• (・系列地上波局・ほか。 2012年より解説)• 2013年7月12日、中日対巨人戦で初解説 )• 緒方耕一の痛快! スポーツ天国(TBSラジオ。 1999年4月5日 - 9月27日、月曜18:00 - 19:00放送)• 月・火曜スポーツコーナー担当)• /プロ野球東西南北(TBSラジオ)• (TBSラジオ。 『ザ・ベースボール』の直前に放送されたスポーツ情報番組。 2001年、2004年 - 2005年に火 - 金曜担当)• (TBSラジオ。 プロ野球! 火・水曜18:45頃より放送。 (テレビ東京・TXN系列ほか。 2012年1月15日 - )• (BSジャパン。 2013年4月1日 -。 スポーツキャスター) 脚注 [ ] []• 巨人では選手別応援歌の流用自体が極めて少ない事例である。 なお、リリーフ・マーチは流用時に初代とは全く異なる2代目を作成しており、同マーチは現在でも使用されている。 TBSの略称もTBSテレビに継承)された。 『TBS50年史』資料編P234掲載のスポーツ番組解説者リストを参照。 1999年から2001年現在のプロ野球解説者として明記。 『週刊ベースボール』2000年2月21日号「2000年プロ野球全選手写真名鑑」内「主要評論家・解説者名鑑」(P152-153)に掲載された緒方のプロフィール(P152。 TBS解説者として記載)でも、同キャッチフレーズが記述されている。 『週刊ベースボール』2000年2月21日号「2000年プロ野球全選手写真名鑑」内「主要評論家・解説者名鑑」に掲載された緒方のプロフィールでも、"本誌「イースタン・チェック」でもおなじみ。 "と記述。 『12球団全選手カラー百科名鑑2011』P273掲載のプロフィールでは、「以前リポーターを務めたが、解説は初めて。 」との記述あり。 日刊スポーツ 2011年6月27日付• テレビ東京プレスリリース 2012年1月13日配信・同日閲覧• NPB公式サイト 2012年10月10日 2015年4月15日閲覧• NPB公式サイト 2012年11月13日 2015年4月15日閲覧• 北海道日本ハムファイターズ公式サイト 2017年10月31日掲載• 1998年9月27日 2面 など• 1994年10月31日 1 - 3面 など• gooテレビ 2012年6月24日. 2016年6月22日閲覧。 2016年6月22日閲覧。 - 『テレビドガッチ』2013年3月29日11時1分最終更新(予備リンク: - 同日11時3分付配信)• 外部リンク『オリコン芸能人事典』で配信された緒方のプロフィールより、ヒストリー(活動年表)のページを参照(2013年5月の情報として掲載)。 参考:• - TBSチャンネル公式サイトより。 12日放送分の解説として緒方の名が明記。 同日付『毎日新聞』ラテ欄掲載の「TBSチャンネル1」番組表。 プロ野球中日対巨人戦中継の情報に解説として緒方の名が明記。 当日地上波ではCBCテレビが中京ローカルで、BS放送ではNHK BS1が放送した。 この場合はCBCテレビからの同時ネットが多いが、諸事情によりTBSによる実況差し替えとなった。 (2005年12月31日付保存キャッシュ)より、タイムテーブルを参照。 参考資料 [ ]• TBS50年史(2002年1月、東京放送編・発行)…• 資料編• DVD-ROM『ハイブリッド検索編』• 各種外部リンク 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]• - NPB. jp 日本野球機構• 選手の各国通算成績•

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追悼・緒方貞子さん「身長5フィートの巨人」その多大なる功績の全貌(戸田 真紀子)

緒方 り ず

2002年3月6日、17歳の少女が小倉北区にあるマンションの一室から逃げ出し、祖父母宅へ助けを求めに駆け込んだ。 少女は怯えながら、 「お父さんが殺された。 私もずっと監禁されていた」 と語った。 少女の右足の親指は生爪が剥がれており、 「ペンチを渡されて、『自分で爪を剥げ』と言われたので剥がした」 とのことであった。 それまでの経緯などもあり、祖父は少女をともなって門司警察署へ監禁の被害届を出しに行くことになる。 連絡を受けて現れた小倉北署員がこれ以後事情聴取を行なうことになり、そうして少しずつ、この事件の全貌が語られていくことになる。 松永は畳屋を営む両親の元に生まれ、何不自由なく育ちやがて19歳で結婚、翌年には子供を設ける。 その後、訪問販売で粗悪品の布団を売る詐欺まがいの会社を設立し経営し始める。 そこでは成績の悪い従業員には暴力をふるうなどの行為が行われていた。 緒方純子とは高校の同級生であったが、高校当時は特に付き合いもなかったという。 しかし20歳の時2人は関係を持つ。 以前2度程松永から誘われてその時は断っていたが、 3度目で純子は松永と肉体関係に。 その時純子は初めての経験だったという。 それ以後、不倫関係に後ろめたさを感じつつも、次第に純子は松永にのめり込んでいってしまう。 しかし松永はやがて純子に暴力をふるい始める。 純子が以前交際していた男性がいると知ると、 その男性をホテルに連れ出し、従業員にリンチさせるなどもしていた。 また松永は純子の右胸にタバコで焼印を、太腿の付け根に安全ピンと墨汁で刺青を それぞれ「太」と入れさせることを強要していた。 そうして純子は松永にマインドコントロールされていく。 純子の両親に松永との交際が発覚し反対されるが、松永は好青年を演じ、 『婚約確認書』なるものを提出して婿養子を約束する松永を、 両親はすっかり気に入ってしまった。 暴力でコントロールされ自己嫌悪に苛まされた純子はある時自殺騒動を起こす。 自殺未遂後は松永が純子と家族とを引き離し2人で生活するようになる。 その頃純子は松永の会社を手伝っていて、松永の妻も純子と会っていた。 (妻はやがて松永から逃げ出し、平成4 1992 年に離婚が成立している) 純子は松永の命令で親族・知人を詐欺商法に巻き込んで人間関係を破綻させていき、 ますます松永に依存するようになっていくのである。 平成4 1992 年に会社での脅迫・器物損壊・詐欺容疑で松永と緒方は指名手配され逃亡。 逃亡生活で金に困った2人は1人残った従業員の親から送金させていたがそれも続かず(従業員は逃亡)、 結婚詐欺を思いつき以前交際のあった子持ちの既婚女性と連絡を取り、結婚を餌に金を無心する。 その後彼女を離婚させ、親や前夫から養育費金を送らせるなどして金を貢がせていた。 その女性はやがて別府湾に飛び込み自殺をしてしまう。 また子供のうち1人も不審死を遂げている。 (松永の犯行も疑われたが立件されなかった) 平成5 1993 年には純子は松永との間に男子を出産。 小倉に移る。 ここで住居を探すために赴いた不動産屋で担当の虎谷久美雄 34 に出会う。 この虎谷こそ事件発覚のきっかけとなったA子の父親である。 松永は虎谷に競馬予想ビジネスを持ちかけ近づき親しくなっていく。 松永と付き合うようになって生活が荒んでいった虎谷は、やがて内縁の妻と別居、まだ幼いA子を引き取る。 松永はA子の世話を有料ですると持ちかけ、虎谷は引き受けてしまう。 A子を預かることでなかば人質を得た松永はやがて、 虎谷が過去に会社の金(ごく小額)を着服したことを聞き出すと、とそれを執拗に責めたてたり、 A子に父親から性的いたずらをされたと嘘の証言をさせて、その事を記載した『事実関係証明書』を書かせた。 この証明書等で弱みを握られた虎谷は以後松永達と同居するようになり、松永の奴隷状態になってしまう。 そして虐待が始まり、方々から借金をさせられ松永に貢いでいくことに。 松永の虐待で象徴的なのは「通電」である。 裸にした電気コードの先にクリップをつけ身体に挟み、そんきょの姿勢をとらされ通電するのである。 衝撃で尻餅をつくと罰として再度通電。 松永はその様子を酒の肴にして楽しんだりもしていた。 虐待はその他に、常にそんきょの姿勢を取らされたり、真冬でも薄着で過ごさせる。 寝床を台所から玄関へ移され、やがては檻と称してスノコで囲いその中で体育座りで寝させられたり、 鍵のついた浴室で布団もなく寝かせられた。 食事は1日2回で基本ご飯と生卵のみ。 そんきょの姿勢で食事させられ、制限時間以内に食べないと通電された。 真冬でも水のシャワーしか許されず、トイレも制限され、大便を漏らすとそれを食わされた。 また小学5年だった娘のA子に歯型がつくほど父親を噛ませている。 (A子も虐待を受けながら小学校には通っていた) そうして衰弱していった虎谷はやがて言動がおかしくなり、平成8 1996 年2月に死亡した。 松永はA子に「お前がつけた歯型のことがあるから、お父さんを病院へ連れていけなかった。 病院へ連れていったらお前が殺したことがすぐにわかって警察に捕まってしまうからな」と脅し、 「私は、殺意をもって実父を殺したことを証明します」という内容の『事実証明書』を書かせた。 この証明書がA子を長く縛り付けることになり、松永と緒方やその子どもの世話をさせらていく。 松永は純子とA子に遺体の処理を命じる。 2人は遺体をのこぎり等で解体。 内臓等はミキサーで液状化して公園の公衆便所に流し、肉や骨は鍋で煮込みフェリーから海中に投棄させた。 この解体直後、純子は第2子を出産している。 驚くことに臨月状態で遺体の解体を行っていたのである。 B子逃走後、また金に困った松永は純子に金を工面するよう命じる。 純子は母親などに頼むが断られたので、自分で稼ぐことにし、次男を親戚に預け(長男はA子が世話) 湯布院のスナックで働くようになる。 しかし純子が逃げ出したと思った松永はまず緒方一家に接触、 過去に犯した殺人等の犯罪を打ち明け、それをすべて純子が主導し実行したと家族に吹き込む。 すっかり信じてしまった緒方一家は負い目を感じて、松永が持ちかけた芝居にのってしまう。 母親の静美が「松永が自殺した」と嘘を言い純子を北九州に呼び出す。 純子が北九州のマンションに着くと松永の遺影が飾られ、線香が焚かれていた。 純子が松永の遺書を読んでいたところ、突然押入れが開き松永が飛び出してきた。 「残念だったな!」松永はそう叫び純子に殴りかかり、緒方一家は飛び掛かり押さえつけた。 こうして純子への激しい虐待が始まる。 また中学生になったA子との立場を逆転させ、純子を最下層に置いた。 A子に純子を監視させて逐一様子報告させ、その内容によっては純子に通電を行って責めたてた。 あまりの辛さに純子は逃亡を企てるが、A子が追いかけ未遂に終わる。 逃亡劇によってさらに激しく暴行を受けることになり、 純子は気力を失い松永の支配は確固たるものになっていった。 この「偽葬儀」以後、緒方一家(父:譽 61 、母:静美 58 、妹:理恵子 33 )は、 身内の純子が犯罪者という負い目から、松永のいいなりになっていく。 松永は当初純子と別れると告げていたが、子供は松永が引き取るとの条件を聞いた純子が、 子ども可愛さに「松永とは別れない」という意思を純子自ら表明するように誘導。 それではと、松永は家族に純子の逃走資金として金銭を要求。 同意した緒方一家は1千数百万を払い、さらに家を抵当に入れ3000万を農協から借り、それも全額松永に渡した。 さらにマンションの配管工事をさせ、虎谷氏殺害の証拠隠滅に家族も加担させることで逃げ道を無くした。 こうした一連の話し合いは北九州の松永のマンションで行われ、最初は譽・静美・理恵子だけだったが、 途中から理恵子の夫・元警察官で農協職員の主也 38 が加わる。 松永は婿養子で性格のおとなしい主也に弱さや緒方一家への不満があることを感じ取り、 大げさに一家の主扱いをして持ち上げることで信頼を得て、連日酒を飲みながら主也に色々吹き込みはじめる。 土地の名義を未だに主也に移さないことを、婿養子だから馬鹿にされているとプライドを煽り、 妻の理恵子の過去の妊娠・中絶や不倫といった不貞を暴露するなどで主也の一家への不信感を煽っていった。 (これらのことは松永が理恵子から聞きだしていたのである) 主也は妻や義父達に不信感を抱くようになり、松永に言われ妻や義父を責め殴るように。 一方で松永は主也のささいな問題をあげつらい、主也を責めたてたりもした。 松永はまず緒方一家を互いに不信を抱くように持ち込みバラバラ状態にして、 一家が連帯して松永に対抗することを防止する。 そして巧みに聞き出したそれぞれの秘密や弱みを執拗に攻めることで罪悪感を植え付け、 その内容を書面にして心理的拘束の道具として支配を強めていくのである。 やがて主也・理恵子夫婦の子、純子の姪・彩 10 と甥・優貴 5 も小倉に呼び寄せ同居させる。 その頃から緒方家の親戚達は一家の様子を不審に思い、松永に騙されていると譽さん達に諫言するも、 すでに松永支配下にある一家は聞き入れることもないまま、 田んぼも抵当に入れるなどして結局総額6300万あまりを松永に渡してしまった。 親戚も警察に松永の情報を提供するなどして対応するが、 ついに一家は久留米から完全に行方をくらましてしまう。 一家が完全に北九州に移った頃から、虎谷と同じように一家への虐待が始まっていった。 自由な行動が制限され、食事は一日2回でカップラーメン等のみ。 トイレも誰かの監視の元で大便のみ使用が許され小便はペットボトルを使うよう指示された。 睡眠は台所で布団もないまま雑魚寝だった。 そして通電。 通電は順位が最下位の者に行うルールになっていて、順位は絶えず変動させられていた。 そのため一家は順位を上げて通電を避けたいという気持ちから、 松永の歓心を買うために家族を裏切り密告するようになっていく。 一家の絆は次々に解体されていった。。

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