水木 しげる。 水木しげる死去!嫁と2人の娘、長女次女そして弟・姪っ子夫婦…家族経営の水木プロダクション またひとり巨星が旅だった

水木しげるのラバウル戦記 (ちくま文庫)

水木 しげる

経歴 [ ] 生い立ち [ ] 大塚村(現・大塚町)の商家・飯塚家に生まれた。 飯塚家はを製造したり、屋を営んだりしていたが、父・藤兵衛が「女相手の商売はあわん」という理由で呉服の仕入れをやめてしまったために、布枝が生まれた頃には蔵に残ったを細々と売ったり、テニス用の作りの人を集める元締めのようなことをして生計をたてていた。 また、藤兵衛は村議会議員を務め、戦後、酒の小売の免許をとり、酒屋を始めた。 結婚 [ ] 安来高等女学校(現・)卒業後、二人の姉が相次いで嫁いでいく中、布枝は家に残り、祖母の手伝いをしていた。 祖母も他界して手も空いた頃には結婚適齢期を過ぎ、良い縁談話を待ちわびていたところに、(昭和36年)に(本名・武良茂)とのが舞い込んできた。 間に立ったのは布枝の母の弟で、この叔父の妻の実家が武良家の遠縁だった。 水木の多忙のため、見合いから5日後に結婚式というスピード婚だった。 式場はの灘町後藤のお屋敷 だった。 結婚生活 [ ] 赤貧洗うがごとき当時の水木の生活は、見合い話で聞かされた仲人口とはかけ離れていた。 「東京」のイメージとは程遠い水木の家を初めて見たとき、布枝は声を上げて驚いたという。 常に質屋に入り浸りで、長女が生まれた後には布枝が持ってきた着物まで出されてしまう。 しかし、懸命に漫画を描く水木の姿を見て、布枝は次第に敬意を抱くようになり、やがて自分の誇りにさえ思うようになったという。 漫画の締め切りが迫ると、ベタ塗りなどの単純作業をこなすこともあった。 二女に恵まれ、やがて水木の名が売れて生活も好転したが、代わって水木は漫画の依頼が増え過ぎて殺人的な多忙に苦しめられるようになる。 水木は妻や家族にかまける余裕が無くなり、貧乏時代よりこの頃の方が辛かったかもしれないと布枝は書いている。 ゲゲゲの女房 [ ] に設立された「水木しげる夫妻」ブロンズ像 に著した自伝『』が、4月から9月まで『』においてテレビドラマ化されている。 さらにこの年の11月には映画(制作・配給:)が公開された。 翌年には舞台化もされている。 布枝をモデルとした人物を、テレビドラマではが、映画ではが、舞台ではがそれぞれ演じている。 テレビドラマのヒットを受け、2010年の年間大賞には、「ゲゲゲの〜」が選ばれて受賞している。 また、に夫婦のブロンズ像、安来市大塚町の実家の前に「つなぎ石」の石碑が建てられている。 テレビ出演 [ ]• 2010年、の番組『』に生出演(および夫・水木しげるとともにVTR出演)した。 2010年、の番組『』に出演した。 2010年、NHK総合、、、で放送の『』にゲスト審査員として出演した。 家族・親族 [ ] 実家• 祖母 数え年88歳で亡くなった。 祖父が早世して以来、一人で家を支えていた。 父・ 藤兵衛(呉服商、酒屋、政治家) 明治32年()4月8日生 ~昭和61年()没。 2代目 藤兵衛の次男 、卒。 幼少にして父の死去に遭い、家業の呉服商に従事していたが、17年()の企業整備で老舗を閉鎖 する。 昭和23年()期するところありて、酒類販売を開始した。 旧大塚村時代村議に数回当選し、議長にも推された。 趣味は囲碁、釣。 の創設者と若い頃からの友人だった。 母・ つや子(布部、家島栄隆の妹 )。 兄・ 藤兵衛(元教員) 昭和4年()生まれ。 最初は龍矢と言う名前だったが、父の死後に改名し藤兵衛の4代目を継いだ。 5月31日放送分の『』に妻、娘と出演。 晩年には12月10日放送分の『』に妻と出場(自身にとってはこれが生涯最後のテレビ出演となった)して歌を歌い特別賞を授賞し、その翌年の2月2日に89歳(数え年90歳)で急逝した。 現在は甥(兄の子)の頼寿が藤兵衛の5代目を継いでいる。 姉(2人、1人は近隣にある大きな農家に嫁いだ )• 妹 自家• 夫・ (漫画家・妖怪研究者)• 長女・ 尚子(水木プロ社長)• 、 『ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘』。 著書 [ ]• 『ゲゲゲの女房 人生は…終わりよければ、すべてよし!! 』、2008年3月。 『ゲゲゲの女房 人生は…終わりよければ、すべてよし!! 』実業之日本社〈〉、2011年9月。 『ゲゲゲの食卓』、2011年4月。 (共著)『ゲゲゲの女房と品格の母が語る 知足安分』、2011年4月。 『「その後」のゲゲゲの女房 あるがままに。 すべてに感謝!! 』、2018年9月。 脚注 [ ] [].

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水木しげるさんの妖怪大全「アマエビ」誤記の謎 「意図ではなく…」

水木 しげる

漫画家の 水木しげるさん。 なかなか壮絶な半生だったみたいですね。。。 水木しげるさんの略歴 漫画 「ゲゲゲの鬼太郎」でおなじみの水木しげるさんは、1922年3月8日に生まれました。 出身地は、鳥取県境港市です。 太平洋戦争当時、水木しげるさんは召集令状を受けて ラバウル・ニューギニア戦線に従軍し、熾烈な戦争の中で負傷しながらかろうじて生き残り帰国しました。 帰国直前に、ニューブリテン島の現地住民と仲良くなっていて、現地の生活スタイルや考え方が気に入り、終戦後に ニューブリテン島に残ることも考えたんだそうです。 よほど、気に入ったんでしょうね。。。 帰国後は、生活のために紙芝居作家を初めて上京し、1958年に漫画 「ロケットマン」で貸本の漫画家としてデビューを果たしました。 スーパーマンみたいなヒーロー物なんでしょうか。 その後、貸本漫画の業界が振るわなくなってきたことにより、貸本漫画用に書いていた 「悪魔くん」や 「ゲゲゲの鬼太郎」等を「週刊少年マガジン」などの商業誌に掲載し注目を集めて、人気を博するようになりました。 以降、長年にわたって妖怪を扱った作品を世に送り出し、その功績が認められて1991年に 紫綬褒章を、2003年に 旭日小綬章をそれぞれ受章。 漫画家・妖怪研究家として、現在も活躍されています。 Sponsored Link 手塚治虫さんとの関係? 水木しげるさんと言えば漫画界の 大御所的な存在ですが、漫画界のもう一人の大御所と言えば 「漫画の神様」と称されている 手塚治虫さんですね。 手塚治虫さんは、水木しげるさんの作品の「ゲゲゲの鬼太郎」の原型となった 「墓場鬼太郎」を初めて見た時に、衝撃のあまり 自宅の階段から転げ落ちてしまったそうです。 その後、妖怪ブームを予感した手塚さんは 「どろろ」などの 妖怪漫画に路線をシフトするほど、「墓場鬼太郎」をある意味認めていたようですね。。。 極めつけは、手塚治虫さんの息子が幼少の時に 自分の作品より「ゲゲゲの鬼太郎」が好きだったとか。 これはちょっと切ないですね。。。 そういうこともあってか、手塚治虫さんはパーティーの席で水木しげるさんにこう言ってしまったそうです。 あなたの絵は雑で汚いだけだ あなたの漫画くらいのことは僕はいつでも描けるんですよ 口に出してしまっちゃダメですよね。 (笑) また、手塚治虫さんの 故郷の宝塚にあった遊園地 「宝塚ファミリーランド」で「ゲゲゲの鬼太郎」のアトラクションが開催されたことについても。。。 私の故郷の宝塚で勝手なマネをするな と言ってしまったそうです。。。 そんな水木しげるさんは、手塚治虫さん(と漫画家の石ノ森章太郎さん)についてこうコメントしていたとか。 手塚と石ノ森は会うたびに2日寝てない3日寝てないと自慢をし合っていたが、 結局六十過ぎたら死んでしまった。 僕はどんなに忙しくても8時間寝るよ。 どちらが良いかは分かりませんが、価値観が全然違ったんでしょうね。 戦争で左腕を? 水木しげるさんが従軍したラバウル・ニューギニア戦線ではかなり過酷な戦闘があって、敵の奇襲を受けた水木さんの所属する部隊は ほぼ全滅状態に追い込まれるほどだったそうです。 何とか戦場から逃げ出した後も、敵の目から逃れるために川や海を泳ぎ 3日間ジャングルをさまよって、ようやく元の部隊の陣地に到着。 その後もマラリアで高熱に苦しみ、左腕に大怪我をしていたため、止血用に腕を縛られて、そのままでは腐ってしまうため、 左腕を切除されたとか。。。 そんな水木しげるさんは、後に左腕のことについて 「左腕を失ったことを悲しいと思ったことはありますか」との問にこう答えたそうです。 思ったことはない 命を失うより片腕をなくしても生きている方が価値がある 過酷な体験をしている人の言葉は、重みが違いますね。。。 鬼太郎の父親の正体? 「ゲゲゲの鬼太郎」に登場する主人公の鬼太郎の父親といえば、 「目玉おやじ」ですね。 実は、「ゲゲゲの鬼太郎」の元になった「墓場鬼太郎」には、 鬼太郎の誕生と両親について描かれています。 鬼太郎の両親は 幽霊族の最後の生き残りで、父は ミイラ男のように包帯にくるまった大男で、母はいわゆる幽霊のような女性。 結果的に、両親共に不治の病で亡くなってしまい、その お墓から這い出てきたのが鬼太郎だとか。 その後、大泣きする鬼太郎に対して、不憫に思った ミイラ男の父親の目玉が取 れて、目玉おやじとして鬼太郎と一緒に生活し始めるのだそうです。 目玉おやじって、鬼太郎の片目だと勝手に思っていたんですが、そうでは無かったんですね。。。

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水木しげるロード

水木 しげる

というわけで、今回は「妖怪ビジュアル大図鑑」を紹介します。 本書は、「ゲゲゲの鬼太郎」でおなじみの水木しげるさんが描いた日本各地の妖怪333体を収録。 冒頭では「小豆洗い」や「河童」「べとべとさん」など誰もが知る人気者の妖怪36体を取り上げ、以降は「人間のような姿」「動物のような姿」など姿形で妖怪たちを分類して紹介しています。 一番のおすすめポイントは、オールカラーの絵が美しいこと! 細やかに描かれた妖怪たちは個性豊かで、見た目からして怖いものもいれば、どこかユーモラスなものもいて、見ていて飽きません。 なかには、こじらせ妖怪も。 人を笑わせることが生きがいの「五体面(ごたいめん)」は、自分の姿を見て笑ってくれないと暴れるという厄介な妖怪です。 万が一見かけたら、必ず笑ってあげてください。 この妖怪に取り憑かれると、心にゆとりがなくなり、落ち着きがなくなってしまうそうです。 忙しく動き回ることで、なぜか安心できるんだとか。 この妖怪は江戸時代のころに存在が確認され、取り憑かれる人が増え続けていく一方とのこと。 仕事がたまりがちな休み明けのタイミング、みなさん、くれぐれもご注意ください。

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