自殺 首吊り。 21歳、我が息子は首吊り自殺しました。彼の顔はこの数年見ない安らかな顔を...

タオルやネクタイで首吊り自殺をしたという話を聞きますが、一体どうい

自殺 首吊り

あとなぜか日本は解雇のことをクビというので、 それも悪いイメージ作りに加担してると思う。 しかし、自殺法という観点でいえば、 首吊りは相当に有力な手法といえるようだ。 なぜ有力かというと• 簡単にどこでも出来る• 見つからなければ確実に死ねる からである。 首吊りは優秀な自殺法 首吊り自殺の原理はこうである。 通常、柔道技などで首を絞める時、これは頸動脈を絞める。 絞められたことがある人はわかるだろうが、うまくロックされたら確かに一瞬で 気が飛びそうになるが、それでもタップするだけの時間はある。 脳には、2本の動脈で血流を送っている。 頸動脈の他には、もう一本、椎骨動脈というのが通っている。 首絞めでは、この一本が締まらないため、タップするだけの余力がある。 首吊りでは、この椎骨動脈まで絞まってしまい、 脳への血流がすべて途絶える。 だから、タップをする暇もないほど一瞬で、意識がなくなる。 よく、刑事ドラマとかで首吊り時にくるしいいいいいと言って 首を掻きむしるようなシーンがあるが嘘である。 首を絞められた場合(つまり他殺)は、椎骨動脈が生きてるのでそういうこともあるようだが、 自殺で使う首吊りの場合は、一瞬にして意識が消えるため、何の苦しみもない。 むしろ逆に、快感ですらあるようだ。 首が絞まっていくのは気持ちいいというのは絞められたことがある人間ならわかるだろう。 首絞めセックスなんかがそこかしこで行われているのも、これが理由だろう。 しらんけど。 リア充はそのまま死ねばいいのにね。 おそらく、社会的な影響を考えて、このような描写にしているのだろうと思う。 もし、首吊りで死んだ死体が幸せたっぷりな笑顔なら、自殺してしまう人が増えてしまうからだ。 自殺したい社会にしているお前ら適合者が悪いんだろとおれは思うんだけど。 首吊り死体が糞尿を垂れ流すというのは事実のようである。 しかしこれは、死ぬ前にしっかりと出しておけば良いようだ。 むしろ驚きだったのは、男の場合は射精してしまう場合もあるということだ。 しかしこれも死ぬ前に出しておけば良いことだ。 賢者モードになったら自殺をやめてしまいそうだが。 なぜ椎骨動脈が締まるかというと、 頚椎が斜めに歪むからである。 これによって血流が遮断される。 従って、首吊りでは縄を斜めにかけて頚椎を歪ませることが要点となる。 しかし、それは非常に簡単なことのようだ。 通常の人間であれば、 椎骨動脈は16. 6kgの圧力がかかれば締まる。 頸動脈は3. 5kgらしいから、それに比べると5倍ほど高いが、 縄を使って部分的にでも体重をかければうまくいきそうだ。 例えば、死刑のように踏み台から何メートルも下に落とさずとも、 例えばドアノブを使って正座した状態でロープを首に懸け、 そのまま倒れるというのでもうまくいく場合がある。 病院や刑務所などで死ぬ場合はこのケースのようだ。 確かに、大層な首吊り場なんかこさえることは出来ないからどうしてるのだろうと 不思議に思っていた。 彼らは、正しい自殺の方法をどうやってかはしらんが学んでいる。 唐澤弁護士の弟の例 数々の殺害予告など、ネット中傷の被害にさらされている唐澤弁護士が、 弁護士を目指そうと思ったきっかけは、 弟の死だという。 1つ違いの弟とは別の高校に行ったが、 弟はそこで不良グループから目をつけられて、 存在しないパーティのパーティ券を売るようにいわれ、 それが出来なかった弟は、リンチにあった。 その日、弟は遺書を書くと、自室で首を吊って死んだ。 しかし、不良グループは摘発されず、今はのうのうと生きている。 こういう不条理と戦うためには力を付ける必要があると考えて、弁護士を目指そうと思ったということである。 親が死んだことや、 子供の頃に医者が病気を治してくれたことがきっかけになって 医者を目指すというケースはよくある(だろうが)が、 弟がリンチされて自殺されたことがきっかけで弁護士を目指すというのはなかなか 稀な例だとはいえそうだ。 だが、首吊りはそう稀な死に方ではない。 さらに唐澤弁護士は著書の中で、「弟は首吊りで苦しんだ」と思い込んでいるが、 首吊りは非常に優秀な自殺法であり、意識自体は早急に消失する。 だから安心してほしい。 意識を失ってから痙攣することなどはあるようなので、 それを以って苦しんだと思ったのだろうが、あなたの弟が首吊りによって苦しんだ可能性は低い。 首吊りの欠点 このように最強の自殺法「首吊り」であるが、一つだけ欠点がある。 それは、見つかった場合に未遂に終わりやすいことである。 しかも悪いことに、脳への障害はほぼ確実に残る。 なぜかというと、長い間脳への血流を遮断してるからである。 自殺したいと思って最後の勇気を振り絞って首を吊ったのに、 自殺は悪いことだ!!!とか強迫的に信じている適合サイドの人間によって さらなる地獄に突き落とされてしまうのだ。 あいつらは悪魔だ。 見つかって未遂に終わらないように、 この本では青木ヶ原樹海への入り方や、気をつける点について紹介している。 しかし自殺時に見つからないためだけに樹海に行くのはやりすぎだと思うし 却って失敗率を高めることにもなるだろうからどちらかというと、 遺骨を家族にも見つけられたくないとか、この世から完全にいなくなりたいという 思いがある人向けだろうと思った。 同じ墓に入りたくないという人はいる。 おれは、遺骨は麻布学園の桜の木の下に埋めてほしいと思っているので (親はどうせチキってやってくれないだろうけど。 おれがある手術を受けた時、その手術が納得出来るものだったか自分の目で確認したいから 取り出した組織について写真をとってくれないかと父親に頼んだが、やってくれなかった。 それ以来おれは手術結果に対して懐疑的になり、ノイローゼになった。 親というのはそういうものだ。 どうせ何もしてくれない) 発見されないのはさすがにやばく、なんなら海外で安楽死も厳しいと思っているので、 樹海での自殺は選択肢にはない。 さらに詳しく知りたい人は買いましょう。

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【1553】息子が首をつって自殺しました

自殺 首吊り

こんにちは。 わとりんです。 やnoteをフォローしてくれている方はご存知かもしれませんが、僕は重度のメンヘラヒキニートです。 大学生の頃に精神の不調を感じ始め、自傷や自殺未遂を行い、一時は就労に成功したものの、ブラック労働でメンタルが爆発四散し、現在では双極性障害という診断を受け、障害年金を受給しながら家に引きこもってニートをしています。 僕は何度か自殺未遂をしたことがあります。 初めて試みた自殺未遂が首吊りです。 今回はその首吊り自殺(未遂)がどのようなものであったかを書きたいと思います。 首吊り自殺を試みたのは大学4回生のときでした。 季節は覚えていないのですが、長袖を着ていた覚えがあるので、おそらく秋か冬だったと思います。 僕は日頃から怯えていました。 自分の存在が誰の目にも留まらなくなり、恋人や友人から愛されることもなく、永遠に孤独であるという事実に耐えられなくて、怯え苦しんでいました。 まるで社会全体が僕を陥れようとしているように思えてなりませんでした。 街中を歩けばビル群がまるで自分を押しつぶそうとしているかのように見えました。 ビルが僕を見下ろしているように見えたのです。 車が通り過ぎれば、その音で自分の存在がかき消されてしまうように感じました。 どこに行っても「ここには僕の居場所はない」そんな思いに駆られていました。 そのうちこのような感覚は自分の部屋の中でも感じるようになりました。 本棚が、まるで非常に厳しい生活指導の先生に見下されているかのように感じられました。 極めつけは身体に小さな蜘蛛のような虫が大量に自分の体を這いずり回っている幻覚を見たり、10歳位の和装をしている日本少女のような座敷わらしの幻覚まで見るようになりました。 マンションに住んでいたのですが、実家の階段を母が登ってくるような足音が聞こえたり、両親が喧嘩をしているような喧騒が聞こえたり、自分の名前を怒鳴り呼ぶ声が聞こえたりもしました。 どこに行っても安息を得られることがなく、常に怯えていました。 当時付き合っていた彼女ともあまりうまく行かなくなっていました。 その彼女は僕のはじめての彼女で、最初の数カ月はとても上手くいっていたのですが、僕と彼女が童貞・処女であることがきっかけとなり、二人の仲に亀裂が生まれました。 具体的には、彼女は処女であるから、セックスにおける挿入がどうしても怖い、僕は童貞であるから、なんとしてでも挿れたい、そういう思いのすれ違いが、互いへの不満となり、結果的には僕が捨てられました。 この頃から精神の不調が極大になっていたと思います。 とにかく死にたいと思うようになったのです。 視界に入るあらゆるものが、僕を死なせるための道具に見えました。 例えば、電車が走っているのが目に入れば、飛び出したい衝動に駆られ、電源延長コードを見れば首を吊りたくなり、ビルを見れば飛び降りたくなり、ガソリンスタンドを見れば焼身自殺をしたくなり、深い川を見れば入水自殺をしたくなり、刃物を見れば首を掻っ切りたくなり……などといった具合に、目に入るものすべてが自殺に結びつくようになりました。 どのような自殺方法があるか、いろいろ調べだしたのもこの頃です。 は何度も読みました。 手に入る限りの劇物の致死量を調べたりもしました。 飛び降りられる場所を調べたりもしました。 完全自殺マニュアルによると、苦痛の少ない自殺方法は首吊りだということで、首吊り自殺にとても強いあこがれを感じるようになりました。 物干し竿を使って、自殺の練習をしてみたりしました。 しかし、練習は練習、とても死に至る気がしません。 足の付く範囲で首に縄をかけて、体重をかけて自殺のシミュレーションをしていたのですが、首に痣がついて痛いだけで全く死ぬ気配がありませんでした。 そのうち、OD(オーバードーズ)を覚えました。 ODは死に至る確率はとても低いのですが、「死ぬかもしれない」という気分を味わうためには、最も手軽な方法でした。 病院で処方される薬を一気に飲むのも良かったのですが、頭痛薬を大量に飲むのが最も手軽で、よくやっていたODでした。 処方薬でODをしたくても、処方される数には限度があるので、ODには向いていなかったのです。 頭痛薬を10箱くらい買ってきて、飲めるだけ飲みます。 飲みすぎると吐き戻しがあるので、胃薬もたくさん飲みます。 10箱買ってきても、飲めるのはせいぜい5箱分くらいでしょうか。 気持ち悪くなってそれ以上は飲めなくなるのです。 そして、薬が効き始めてくると、頭がフラフラするようになり、心臓が苦しくなり、寒気、発汗、吐き気、めまい、意識の混濁等の症状が現れ、丸一日は布団から起き上がることができなくなります。 処方薬によるODにおいても似たような症状が出て、「死ぬかもしれない」という感覚を得られることができました。 ここまで読むと、ODが大好きなように思われるかもしれませんが、ODをした後はとても後悔するのです。 やはり苦しいのは嫌なのです。 ところが、悲しく辛い気持ちになると、薬を飲み始めてしまうのです。 ODで苦しんでいる間は、精神的な苦しみがなくなり、ある意味安息の時間でもあったのです。 精神的苦痛から逃れるためにODを繰り返していました。 しかし、ODをしたからといって、死ねるわけでもないし、精神的苦痛が取り除かれるわけでもありません。 ODの苦しみがなくなったら、再び精神的苦痛が襲ってきます。 死にたい気持ち、孤独感、自己嫌悪、将来への不安、そういったマイナスの感情は常にあるのです。 ただ、ODで一時的に見えなくしても、すぐにまたその苦しみに襲われるのです。 何度もODを繰り返しているうちに、こんなことをやっていても無駄じゃないか、苦しいだけの人生なんて生きる価値がないじゃないか、そう思うようになりました。 死にたい気持ちはさらなる高まりを見せ始めました。 そのうち、ODよりも、自殺の練習に励むようになりました。 どうやったら死ねるか、この死に方は苦しいか、死ぬまでどれくらいかかるか、確実に死ねるか、死ねなかったらどうなるか、死ぬために必要なものはなにか、そんなことを常に考えながら、様々な自殺のイメージトレーニング、実践練習を行うようになりました。 首吊りの練習はもちろん、飛び降り自殺のロケハン、服毒自殺のための毒物の入手方法など、他の自殺方法についても準備を進めていました。 自傷を覚えたのはこの頃でした。 もっとも、ツイッターによくいるリスカーほど手首を切る度胸はなく、周囲の目も怖かったこともあり、精神の不調、希死念慮は最大の秘匿事項でもあったため、そういう素振りは一切見せたくなかったので、それほど痕が残るほどの自傷はできませんでした。 行った自傷行為といえば、キリで手首を刺す、薄皮一枚だけ切る、くらいのものでした。 それでも自傷行為をすると頭がとてもスッキリすることもあって、度々行っていました。 自傷をやめられない人が多いこともとても頷けます。 自殺の練習、自傷、これを繰り返しているうちに、ある日の夜、突如思ったのです。 「本番をやってみよう」 何度も練習した首吊り自殺の本番をやろうと突然思ったのです。 正直なところ、何がきっかけで本番をやろうと思うに至ったのか、思い出すことはできないのですが、泣きながらそのように思っていたことは覚えています。 毎日聞いている音楽(というかASMR音声)をipadで流しながら首を吊りました。 毎日のように首吊りの練習をしていたので、首吊りの準備は整っていました。 あとは吊るだけでした。 気がついたら真っ暗闇の中で、Ipadで流していた音声が頭の中で大音量で聞こえてきました(かなり小さな音で流していた)。 五月蝿くてたまらなくて手をばたつかせました。 するとなにかの衝撃を受けて意識がはっきりしてきました。 首をつったロープから落ちて、横たわっていることがわかりました。 何が起きたのかよくわかっていませんでしたが、段々と先程までの記憶が戻ってきて、 「自殺に失敗した」 という事実に気が付きました。 動こうとしたら頭に激痛が走りました。 経験したことのない激しい痛みでした。 くも膜下出血かとも思いました。 とにかく激しい頭痛で、まともに動くこともできず、吐き気に襲われて横たわりながら嘔吐しました。 激しい頭痛で動けずぐったりしている中、ズボンの中に違和感を感じました。 排泄物を漏らしていました。 激しい頭痛でうめき声を上げながら横たわっていました。 動こうとすると頭に釘を打ち込まれたかのような痛みに襲われ、全く動けませんでした。 そのままただ時間がすぎるのを待って、日が昇り、日差しにジリジリと焼かれる感触を味わいながら、ただひたすら頭痛に耐えていました。 通常の頭痛であれば寝れば治るのですが、この頭痛は寝ることも許さない頭痛でした。 身体中の神経が鋭敏になっている感じがして、脳の裏側の様子がわかるようでした。 この状態で再び日が暮れるまで過ごして、誰かが助けてくれないか、そんなことばかり考えていると、頭痛が最初よりマシになっていることに気が付きました。 なんとか起き上がり、自分の部屋に戻り、床に再び倒れました。 そして、そのまま眠りにつきました。 翌朝になってみると、頭痛は消えて、身体も動くようになっていました。 何もなかったかのように…とはいきませんでした。 ズボンの中では排泄物が、首を吊っていた場所には吐瀉物があり、気が滅入りました。 しかしながら、とにかく、自殺には失敗して、首吊り自殺の確実性は疑わしいと、自分の中で結論付けられました。 よろしければ下記リンクのマガジンもご一読ください。 有料記事・無料記事すべてまとめてあります。

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首吊り自殺の仕組みと方法

自殺 首吊り

2018年2月24日、私は首を吊った。 いつものようにInstagramに投稿するための写真を撮り、いつものように友達の家へ遊びに行き、その帰りのいつも通る道に面した公園で、あらかじめ用意していた頓服用の薬をODして、あらかじめ用意していたひもを何重にもして、鉄棒に括り付け座るように首を吊った。 なぜ私は首を吊ったのか。 あの日を忘れないためにも今更だが綴り残しておきたいと思う。 私は就職しているであろう同期に紛れ、典型的なメンヘラニートちゃんを4年程続けていた。 私の病気、障害は統合失調感情障害、発達障害、摂食障害、醜形恐怖である。 統合失調感情障害とはあまり聞くことが無い病名であろうから一応簡単に説明しておきたいと思う。 簡潔にまとめると統合失調症と躁鬱病が合わさった病気である。 私の場合は、幻聴と他人の心の声がわかってしまうというエスパーだという妄想と典型的な躁鬱であった。 今は大学病院に通っており、薬も病状に合って落ち着いているが、その前はリストカット、アームカット、レッグカット、OD、過食嘔吐、精神障害者が1度は体験するかもしれないことは何でもやっていた。 このコラムの首吊りの前にも電車飛び込みで電車を止めたり、飛び降り未遂、夜中に病院の前で喚いたりして警察のお世話になることも多々あった。 初めて行った就労移行支援では職員との問題や施設での自傷行為等で出禁を喰らったり、その後のデイケアでも同じ理由で再度出禁を喰らい、様々な施設や病院を転々としていた。 家族にも多大な迷惑を掛けていたであろうし、現在進行形で掛け続けている。 それもそうだ、就職もせずに精神科に入院したり出たと思ったら家で暴れたり過食嘔吐で家計をひっ迫させたりと、とにかく今の様に落ち着くまでは本当にとんでもない娘だったと思う(今でもそうなのかもしれないが)。 そして話を戻すがなぜ首を吊ったのかというと、今にして思うと私の被害妄想と家族の疲弊が折り重なった結果だったのだと思う。 上記の様にやらかしたい放題の私に疲弊した母がある日ポロリとこう言った「みんな迷惑してるのよ」と。 たったそれだけ、たったそれだけである。 その言葉が病状が不安定極まっていた私には深々と突き刺さった。 ピアス、派手髪、タトゥーと見た目だけはと強さをアピールし、自分の精神の防御力を仮初めに固めていた私であったがやはり家族の本音はそれを上回る強さであった。 そして私はこうも思った、 「私が頼りにしている人もそう思っているのかもしれない」と。 その日、私はいつものようにおしゃれをし、友達の家へ行き友達に尋ねてみることにした。 被害妄想という服を着たまま。 「私って迷惑?」 友達はこう言った、勿論こう言った。 「迷惑なんかじゃないよ」と。 あの日の私は被害妄想という服を着たバカだった。 だからこう思った。 本音なんて言う訳無いじゃんか(笑) 迷惑なんだ(笑) やっぱりそうだったんだ、と。 心身共にボロボロだった私はこうして被害妄想という重い服を着たまま、その重さで身体は重力に反せず、鉄棒にぶら下がった。 目が覚めると何かの医療ドラマで聞いたような真っ白な天井が拡がっていた。 ぼんやりとした重い頭でゆっくりと横を向くと両親が座っていた。 意識が戻った私が最初に思ったことは(まずい、タトゥーいれたのバレた…。 )であった。 ODの影響なのか脳に酸素がいかなかったことが原因なのかはわからないが、呑気にも最初に思ったのはそんなことであった。 次に感じたのは尿意であった。 だから私は身体をむくりと起こし白衣を着た男性に「トイレに行きたい」と何度も何度も言った。 しかし男性は許してはくれず、横になってくださいとしか繰り返さなかった。 仕方がないので男性の言う通りに横になり、眠気が襲ってきたので横になることにした。 そして再び目が覚めると私はICUに居た。 私は混乱した。 ナースさんであろう人が何かを言っていたが、目覚めた私が最初に思ったのは(ヤバい、友達からLINEがきてるかも)であった。 頭が回っていなかったのだと思う、本当にそんなことを思ったのである。 そしてなんとかごり押しでスマホを手にいれ、友達からのLINEを確認した。 やはり友達は何かあったのだと心配し、何回か連絡をいれてきていた。 私はなんと返したらいいのかわからず後日謝罪しに行こうと思った。 そして次に感じたのは、空腹感であった。 あれ程死のうと思っていたのにやはり人間も動物である、生理現象には勝てないのである。 しかし身動きもとれず遅い時間であった為、食事などでるはずも無く、ナースさんは寝ていてくださいとというばかりであった。 しょうがないので再び眠りにつく他なかった…。 そんなこんなで朝になり、ナースさんにICUはいつ頃出れるのか聞いてみるとお医者様が様子を診て大丈夫であったらとのことであったので、出たくて出たくてたまらなかった私は早く来い早く来いとうずうずしていた。 しかし一向にお医者様は来ず、迎えに来ない両親にも苛立ちがつのり何度もLINEを送っていた。 しかもその日のうちに買い物に出かけたくなるという始末である。 本当に頭がどうかしていたのだと思う。 こうして待ち続け昼食を過ぎた頃、ようやくお医者様がみえ診察してもらい大丈夫そうだということで退院出来るようになった。 なんと首を吊ってICUに入った翌日に退院である、なんというせっかちなメンヘラであろうか(苦笑)。 何時間か待って両親が迎えに来た。 両親になんと言われるか心配していたが予想に反し両親は何も言わなかった。 というより言えなかったのであろう、娘が自殺未遂でICUに入ったのだ、絶句するしかなかったのだろう。 家に帰宅し出かけようとすると両親に当たり前だが止められた、どこにも行かせてもらえない私はふてくされて自室でふて寝することにした。 明日こそ出かけてやろうと。 だがこれからが地獄であった。 首を吊った影響が身体中に出てきたのだ。 まず強烈な頭痛、ロキソニンを飲んでも飲んでも痛みは収まることを知らず一日中ベッドで苦しむことになった。 勿論出かけるなんてもはや頭に浮かぶことなどなかった。 後頭部を殴られたような頭痛がずっと続くのだ。 次に何故か下半身に内出血の後が出て、脚が紫色に変色していた。 これは原因がわからず、首を座って吊った所為なのかはたまた救急隊員の方が私を運ぶ途中ぶつけたのかわからなかったが謎の痛みで歩くのが困難になった。 最後に腕が上がらなくなった。 これは脳に影響が出た所為かと思われる、腕が肩より上に上がらなくなり、着替え等で悪戦苦闘することになる。 これはしばらくの間続き、今も少し怪しい状態が続いている。 しかし、幸いにも半身不随等にはならずそこは心から良かったと思う。 半身不随にでもなったりしたら更に家族に迷惑を掛けることになるからだ。 以上で私の首吊りICU行きの体験談は終了となりますが、私はこれに懲りず今でもリストカット、アームカット、OD、過食嘔吐を続けてしまっています。 最近やらかしたことでは手の甲をズバズバ切ったりしてしまいました。 しかもそのうえ、未だにICUの入院費用を払いきれずにいます。 世の中金なのです。 ですが最近は替えた病院のお医者様が合っているのか薬があっているのかで病状が安定しており、新しく通い始めた就労移行にもコンスタントに通い続けることも出来、お仕事に就けるかもしれないという状態にまで持ち直すことが出来ました。 まだまだ自傷行為、OD、過食嘔吐、醜形恐怖に悩まされている毎日ですが、楽しく生きております。 私は欲しいものが手に入らないと気に入らない質なので、これからも貪欲に生きていきたい所存であります。 細き道を行け、を胸に明日も明後日も無理なく過ごし続けてやろうと思っております。

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