佐藤信太郎。 夜光

SATO Shintaro PHOTO GALLERY──佐藤信太郎

佐藤信太郎

略歴 [ ] に、父・、母・茂世の長男として生まれた。 を経て、・18期(同期にはがいる)において、在学中はほぼ満点に近い成績(海軍兵学校時代は平均97. 5点)を残した(いずれも首席)ため、と共に「海軍始まって以来の秀才」と称される(ただし、海軍兵学校36期の卒業順位は、192人中2番で成績は優等とされている場合がある。 これは、卒業順位1位がとされているからで、実質的には首席である)。 よりフランス駐在、軍令部参謀、のには日本海軍を代表して参加する。 同年には首席、翌年には「」、翌年再び軍令部参謀、常設軍事諮問委員会に帝国海軍代表、全権委員随員、海軍省教育局第一課長と順調に昇進、国際派で、勤務が長かった。 海軍大学校教頭を経て、には海軍中将・(同年11月15日 - 翌1939年11月15日)となるが、翌年軍令部出仕の後、身体が弱かったこともありにはを余儀なくされる。 上述のように稀に見る秀才だったとされるが、後に政界で活躍する弟2人と比較して政治との関わりは薄く、海軍では軍令畑を長く務め、中将で退役した。 自身東大の優等生であったは、「頭の良さから言うと兄の市郎、私、弟の栄作の順だが、政治力から言うと栄作、私、市郎と逆になる」と述べている。 (1940年4月29日)。 引退後のに『海軍五十年史』を執筆した。 この本は、佐藤市郎が参加した1927年のジュネーブ海軍軍縮会議(「壽府三国会議秘録」)、の(「倫敦会議抜き書」)の二つの覚え書きを元にした回想録である。 さらに2001年、信太郎の編による『父、佐藤市郎が書き遺した軍縮会議秘録』が文芸社から出版された。 長女はの次男でのと結婚した。 栄典・授章・授賞 [ ]• (明治43年) -•

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佐藤信太郎「The Origin of Tokyo」:artscapeレビュー|美術館・アート情報 artscape

佐藤信太郎

TWILIGHT ZONE 以前にネットで川崎の工場地帯「夜光」について調べていた時、佐藤信太郎さんのWebサイトを知った。 佐藤さんは「夜光」というタイトルの作品を発表しており、それが検索キーワードである「夜光」に引っかかったのだ。 佐藤さんの「夜光」というシリーズは、大阪や東京などの夜の繁華街を撮ったもので、川崎の「夜光」とは無関係だったが、偶然発見した佐藤さんの写真には興味をひきつけられた。 特に、「街景」というシリーズが印象に残ったのだが、佐藤さんにとっては「失敗作」とのことで、現在は「街景」はWebサイトには載っていない。 佐藤さんの写真は、都市を工夫して撮ることによって、ありきたりの風景写真とは異なる新鮮なビジョンを作り出している。 「夜光」は大阪や東京の夜の繁華街を撮ったものだが、看板やネオンが重層的に画面を埋め尽くすさまは、CGを使ったグラフィックデザインや、光を使った彫刻作品を連想させもする。 とは言っても、それらは現実の場所をフィルムで写し取ったものだからこそ面白く感じられるのだと思うし、写真によってしか作り出せない作品であることがはっきりと伝わってくる。 評価の高い「TWILIGHT ZONE」というシリーズは、夜の都市を長時間露光で撮影した連作である。 非常階段に大型カメラを運んで長時間露光する、といった困難な撮影条件や、手間のかかる自家プリントを繰り返すことによって得られたこのシリーズは、注ぎ込まれたエネルギーが作品の質と魅力を高めている。 高校を卒業した後「世界中を旅してそれが職業になる仕事をしたい」と思って写真を始めました。 今では「できれば海外に行きたくない。 日本から出たくない」といった感じになっていますが。 学校は日吉の東京綜合写真専門学校です。 あまり熱心には行かなかったのですが、撮った写真をいろんな写真家に見てもらえるのはよかったです。 写真一色になってしまうのが嫌で大学を受け直し、専門学校の3年時から早稲田大学に通いました。 大学に通っていた時はあまり写真は撮っていません。 就職の時期にセバスチアン・サルガドやヨセフ・クーデルカの写真を見ているうちに、また写真がやりたくなって共同通信社に入りました。 最初は文化部と仕事をする写真セクションに配属されました。 そこでは勤務時間中も時々自分の作品のコンタクトプリントをとったり、わりと自由にやっていました。 時々上司に怒られたりしましたが……。 その後、報道のセクションに移り、自分の写真がほとんど撮れなくなったこと、報道の仕事がむいてない 好きではない ことなどから会社を辞めました。 仕事は今は建築写真を中心にやっています。 たまに来る程度なので時間的にあまり問題ありません。 建築写真はわりと好きなせいか、矛盾も感じません。 会社に勤めていたころ大阪に転勤して、自分の作品が撮れないことなどから来る閉塞した状態を変えたいと思ったのがきっかけです。 期間無限定で写真展をやる感じにしたかったのだと思います。 一応世界中に開かれているので、世界中の人に作品を見てもらえます。 アクセス数は少ないですが毎日、日本人以外の人が見てくれます。 たまに感想メールや、雑誌掲載の依頼などがきます。 最近はイタリアの女子大生が論文のテーマにするから、とメールでいろいろ質問を送ってきました。 うれしかったです。 そしてそれが現在載っていないのはなぜですか? タイトルは「街景」です。 あれは失敗作なので今は載せていません。 当時は仕事の加減で自分で焼くことができず、ラボにプリントを出していました。 外注プリントだと微妙な焼きをうまくやってもらえず、そのうち確実にきれいにできあがる順光でばかり撮るようになりました。 が、見ているうちになぜか気持ち悪い、息苦しい感じがしてやめてしまいました。 今なら自分でプリントできるので、あのシリーズもいろんな光線状態で撮れるでしょうから、違った結果になるかもしれません。 シリーズもの以外に撮影することはありますか? 基本的にシリーズで撮ります。 シリーズもの以外では撮っていません。 日常的にスナップ写真を撮ることもほとんどありません。 一定のコードによらない撮り方をする人はいっぱいいて、自分はその人たち以上のものを撮れるとも思えないので。 「夜光」は、ものの存在感を際立たせたかったので、工夫して人影を完全に消しました。 「TWILIGHT ZONE」は長時間露光の影響で写っていないだけです。 花火の写真なんかは見物人がずーとじっとしているので、よく見ると結構写っています。 「夜光」はネオンのインパクトに惹かれたこと、普段怖くてじっと見られないものに対する興味がありました。 職場が日勤だったため夜のほうが撮りやすかったということもあります。 「TWILIGHT ZONE」は撮っているうちにだんだんそうなっていきました。 明るいところと暗いところが同時にある感じが好きなのかも知れません。 夜景を撮ることにこだわっているわけではなく、今後は昼に撮ることが中心になると思います。 また夜になっちゃうかもしれませんけど。 シリーズごとにカメラのフォーマットを変えていますか? そうした機材を選択する理由は? 「夜光」はマミヤ7で撮りました。 撮影場所が繁華街でやっぱり怖いところなので、機動性があって画質がいいというバランスで考えました。 「TWILIGHT ZONE」はTOYO VX125です。 蛇腹が柔軟でアオリがきき、軽めです。 撮影場所はロケハンで決めます。 街を歩き回って見つけた雑居ビルや集合住宅の非常階段に実際に登ってみて、面白いと思ったところを後日撮影します。 時期は冬場がメインです。 遠景も近景と等価にクリアに細かく見たいので、空気の澄んだ状態が必要です。 色彩もクリアに出ます。 空気がきれいな日は風が強い日が多いので、ネットで風向きを調べてビルの壁などで風をよけられそうな場所を選びます。 また傘をもっていって風よけにしたりもします。 時間帯は方角にもよりますが、日没後20分くらいから撮影します。 数カット撮ってコンタクトプリントをとり、一番いいと思うものを選んでプリントします。 絞りはF16前後、時間は4分から8分くらい。 フィルムは富士の160NC、クイックロードを使います。 ネガにゴミがつかないためです。 レンズは35mm判換算で20mm以下の超広角から中望遠程度のものを使います。 松江さん、畠山さんは展望台、空撮などかなり高いところから撮っているため、視線がやや見下ろす感じで抽象度が高い感じがします。 都市全体を捕らえている感じがします。 今撮っているシリーズは、「非常階段東京」というタイトルでもあるんですが、多くを非常階段から撮影しています。 非常階段で上れる高さはだいたい14階くらいまで。 展望台や空撮に比べれば低いです。 ただ、都市の向こう側、地平線が見渡せる程度の高さではあります。 非常階段からの眺めは、あらかじめ設定されている展望台からの眺めとも、パソコンで簡単に見ることができるGoogle Earthの垂直な視線とも違っています。 街を歩き回り、場所を見つけるといった運動を通して初めて獲得できるパーソナルな視線で、見下ろすというより、街に対峙している感じです。 これくらいの高さなら、電信柱に書かれた住所や洗濯物といった街の細部を見ることができます。 より高いところから一望のもとに見おろすのとは違い、街を撮り尽くしてしまう感じもありません。 本も参考にしましたが、あれは要するにC シアン を0のままでY イエロー 、M マゼンタ の濃度を調整するだけなので簡単です。 誰でもすぐにできます。 とは言っても突き詰めるときりがなく、時間がかかります。 1枚を1日で完成させられることは少ないです。 また、濃度と色の見え方は年とともに変化するので、焼き直しの連続です。 昔のプリントは、今見るとやや浅めに感じてしまいます。 インクジェットも時々使いますが、ほとんどデータで渡してしまいます。 「墨東写真」 の時に、大きなサイズで焼きたかったのでラムダプリント 印画紙にレーザー光線によってデジタルデータを露光するデジタルプリント を使いました。 自分で焼いたプリントをラボに渡して、スキャンして出力してもらっています。 たとえば空の感じを変えたい時など、デジタルデータであればPhotoshop上でレタッチできるので便利だと思いました。 デジタルの質感は好きです。 フィルムはわりといいかげんに露光しても、オーバー目なら問題ないところが好きです。 明るくとんで見えるところも焼きこむと階調が出てきます。 「夜光」も「TWILIGHT ZONE」もフィルムのラチチュードがなければできなかったと思います。 デジタルのいいところは感度を自由に変えらることと機動性です。 ネガと違ってすこしアンダー側で撮れるので、シャッタースピードが2段くらい稼げます。 建築を撮る時でもかなり手持ち撮影ができて、大判や三脚を使っていては撮れないアングルが狙えます。 あと、つなげたりできるので従来のフォーマットから外れたもの 横長のものとか をいい画質で作れるのも魅力です。 遠近感もそのやり方だと見た感じに近くなるんじゃないかと思っています。 今までデジタルカメラを使わなかった最大の理由は、充分な解像感が無いことだったのですが、スティッチング 複数の画像をパソコン上でつなぎ合わせる手法 がある程度解決してくれると思います。 東京造形大学デザイン科中退。 絵画やCGの制作を経て、1999年から写真を撮り始める。

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夜光

佐藤信太郎

このたび、2019年6月25日 火 〜7月13日 土 まで、佐藤信太郎 写真展「Geography」をコミュニケーションギャラリーふげん社にて開催します。 佐藤信太郎は、1969年生まれの写真家で、東京の街をテーマに制作を続けています。 90年代後半に繁華街を撮影したシリーズ「夜光」、非常階段という独自の視点から東京の夕景を撮影したシリーズ「非常階段東京」、そして東京スカイツリーの建設によって変わりゆく街の風景を捉えた「東京|天空樹 Risen in the East」などの作品で知られています。 佐藤は、変わり続ける都市の表層を写しながらも、街そのもの骨格や根底に流れるダイナミズムを浮き彫りにするという一貫したテーマで制作し続けています。 高度なデジタル技術で複数の画像をつなぎ合わせ、隅々までピントが合った佐藤の作品は、奥行きのない平面的な印象を受け、現代の浮世絵とも称されます。 平面を平面のまま撮るというシンプルな手法で撮影された本作は、佐藤の原点ともいえるでしょう。 距離感がつかめずミクロにもマクロにも見える可変的なイメージは、都市の深層に潜む静かな時間の流れや、東京の都市形成に大きく作用している地形の存在を感じさせます。 本展では、アーカイバルピグメントプリント6点を展示いたします。 なお、同名の写真集をふげん社から刊行いたします。 収録テキストは写真評論家の飯沢耕太郎さん、造本設計は町口覚さんです。 オリンピックが翌年に迫り、世界的な注目が集まる東京。 技術の進歩でグローバル化とヴァーチャル化が進む中、足元にある地面を意識して歩くことが、どれくらいあるでしょうか。 本展をとおして、東京という大都市の質量を体感していただければ幸いです。 6月25日以降、順次発送いたします。 当時は写真の平面性にこだわっており、視線が奥へ行かない、紙の表面でストップしてしまうような写真を撮っていた。 最初は都市を、望遠レンズを使って平面的に、遠近感がなくなる様に撮っていたが、最終的には平面をそのまま平面的に撮るという単純な方法に行き着いた。 撮影した場所は、東京湾岸の埋め立て地にある舗装していない巨大な空き地で、現在はショッピングモールが建っている。 何もない所だったが、エメラルドグリーンに変色した水たまりには渡り鳥が集まっていて、砂利の中に卵を産んでいた。 当時流行っていたニュー・トポグラフィクスの影響もあり、広大で空っぽな空間を撮影している時、その場所の一部に鉱物質な地面がある事に気づいた。 金属的で所々が錆びており、石灰のような物質が表面に浮いているのがおもしろかった。 フラットに光がまわる明るい曇りの日を選び、影が出ないようにした。 そして、表現する要素を出来るだけ少なくすることで逆に様々なイメージが生まれる写真にしようと思った。 この写真を見ていると作者でも距離感がよくわからなくなる。 都市の下にある地面がそのまま、都市を上から見た衛星写真のようなイメージに変わる。 埋立地の地面がどこかの惑星の表面のようにも見えてくる。 遠近法を否定した、ただの平面が様々な距離やイメージの揺らぎを生み出している。 その後、主に東京をテーマに都市風景を撮影し続けているが、一見何の関係もないこの作品は、都市の底にある地形に対する関心、密度や細部に対するこだわりなど、現在の自分の作品にどこか繋がっているように感じている。 1992年、東京綜合写真専門学校卒業。 1995年に早稲田大学第一文学部を卒業し共同通信社に入社。 2002年よりフリーの写真家として活動する。 「土地の持つ性格や歴史、人の営みと、そこから現れる特有の雰囲気(ゲニウス・ロキ、地霊)」をテーマに、生き物のように変貌する都市を捉えた独特の作品を発表している。 2012年に林忠彦賞、2009年に日本写真協会賞新人賞を受賞。 『The origin of Tokyo』 P. , 2019 、『The spirit of the place』 キヤノンギャラリーS, 2014 、『東京・TOKYO 日本の新進作家 vol. 13』(東京都写真美術館, 2016 、など、国内外で個展、グループ展を多数開催。 写真集に『非常階段東京 THE ORIGIN OF TOKYO』、『夜光』、『東京|天空樹 Risen in the East』、『非常階段東京 -TOKYO TWILIGHT ZONE-』(いずれも青幻舎)などがある。 ぜひ足をお運び下さい。 ご予約は電話とメールで承っております。 TEL:03-6264-3665 Mail:event fugensha. jp 【ゲストプロフィール】 飯沢耕太郎 写真評論家。 きのこ文学研究家。 1954年、宮城県生まれ。 1977年、日本大学芸術学部写真学科卒業。 1984年、筑波大学大学院芸術学研究科博士課程修了。 主な著書に『写真美術館へようこそ』(講談社現代新書1996)、『デジグラフィ』(中央公論新社 2004)、『きのこ文学大全』(平凡社新書 2008)、『写真的思考』(河出ブックス 2009)、『キーワードで読む現代日本写真』(フィルムアート社 2017)、『きのこ文学ワンダーランド』(DU BOOKS 2013)などがある。 町口覚 1971年東京都生まれ。 デザイン事務所「マッチアンドカンパニー」主宰。 森山大道、蜷川実花、大森克己、佐内正史、野村佐紀子、荒木経惟などの写真集をはじめ、映画・演劇・展覧会のグラフィックデザイン、文芸作品の装丁などを幅広く手掛け、常に表現者たちと徹底的に向き合い、独自の姿勢でものづくりに取り組んでいる。 2005年、自ら写真集を出版・流通させることに挑戦するため、写真集レーベル「M」を立ち上げると同時に、写真集販売会社「bookshop M」を設立。 2009年・2015年に造本装幀コンクール経済産業大臣賞、2014年東京TDC賞など国内外の受賞多数。 jp This series of photographs that I took during the winter of 1992 is the work that can be regarded as my starting point as a photographer. At the beginning, I photographed the cityscapes planarly with a telephoto lens so that they would lose their sense of distance or perspective. However, in the end, I settled on a simple way of photographing flat surfaces planarly just as they are. The place where I took these photographs was a huge unpaved vacant lot of reclaimed land near the coast of Tokyo Bay, where a shopping mall now stands. It was just an open place without anything, but migratory birds were gathered around puddles that changed to emerald green and were laying their eggs in the gravel. Under the influence of the New Topographics, which was trendy at the time, I noticed while I was photographing this huge empty space that there were minerals on the ground in some parts of the site. It was interesting for me that the ground was metallic and rusted in several areas and that a material resembling lime was floating on the surface. I selected bright cloudy days when the light would spread out flatly in order to avoid the production of shadows. Moreover, I intended to produce photographs that generated various images by minimizing the elements expressed as much as possible. Looking at these photographs today, even their producer has come to lose his sense of distance. The ground below the city is transformed into something resembling a satellite image of the city seen from high above, while the ground of the reclaimed land begins to look like the surface of some other planet. By neglecting perspective, the mere flat plane generates a sense of various distances and image fluctuations. Since taking these photos, I have continued photographing cityscapes mainly on the theme of Tokyo, and I feel that this series, while apparently having no relation to that theme, remains somehow linked to my present works in terms of my interest in the topography underlying the city as well as my commitment to density and to details. He graduated from the Tokyo College of Photography in 1992. He joined Kyodo News as a staff photographer after graduating from the Faculty of Letters, Arts and Sciences at Waseda University in 1995, and he has worked as a freelance photographer since 2002. His works have been shown at exhibitions in Japan and abroad, including The Origin of Tokyo P. , 2019 , The Spirit of the Place Canon Gallery S, 2014 , and Tokyo Tokyo and TOKYO — Contemporary Japanese Photography vol. 13 Tokyo Photographic Art Museum, 2016. He is the author of several photography books, including The Origin of Tokyo 2019 , Night Lights 2014 , Risen in the East 2011 , and Tokyo Twilight Zone 2008 , published by Seigensha Art Publishing, Inc.

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