いい ない いな 人間 て いい な。 「人間っていいな」っていう歌何?怖いんですけど〜!

「にんげんっていいな」の歌詞についてアレコレと考えてみる

いい ない いな 人間 て いい な

他人と関わるのが面倒くさい 『他人なんかどうでもいい』と考えるひとは、まず大抵、他人と関わることは面倒くさいと考えています。 かつての私もそうでした。 話しかけられれば愛想笑いもしますし、それどころか 「へー、そうなんですか」「すごいですね」などと、いかにも相手の話に興味があるフリをして話を引き出すのが得意なぐらいでした・ 周りのひとたちからは 『明るくて、聞き上手』だと認識されていたと思います。 何度かそのような事を言われたこともあります。 しかし、実際の私は聞き上手どころか、適当にあいづちを打っていただけでした。 愛想よく笑顔を浮かべていたのも、 人間関係を悪くしないための処世術のひとつに過ぎませんでした。 いかにも相手の話に興味がある顔をして話を聞きながらも、考えていたことは『早く終わらないかな…』というひどいものでしかありませんでした。 私は他人に興味がなかったのです。 そして、他人と関わるのは面倒だと思っていました。 このように、他人なんかどうでもいいと思う人間の多くは、基本的に他人と関わるのは面倒くさいと考えているのです。 自分の世界を守りたい ではなぜ当初の私はこれほどまでに他人に対して心を開かず、また興味も持てずにいたのでしょうか? それは、ひとつには 『自分の世界を守りたい』という本音があったのだと思います。 自分のことを深く知られたくないし、相手のことも深く知りたくない。 深く知り合えば、どうしてもこちらの内面や趣味、弱さをさらけ出さなければならなくなるから。 つまり、私は私の世界を守るために、他人と距離を取ろうとしていたのだと思います。 心の底で他人を見下していたりするのも同じことです。 『こんな低俗な連中と一緒にいたくない』 『こんな頭の悪いひとと話なんてできない』 『こんなくだらない話して何が楽しいの?』 これは、他人に心を開けない人間が抱く 典型的な防御の言葉です。 周りにいるひとや自分以外の人間を 『低俗』『低レベル』と頭のなかで勝手に決め付けることにより、 『だからこんな人たちと仲良くする必要なんてないんだ』と、孤独な自分を正当化します。 中学・高校などで友達がいない生徒の大半は、口には出しませんがこのような考えを抱いていると思います。 特に、クラスメイトがテレビの話題なんかではしゃいでいると、 『このひとたちって、こんなくだらないことで笑えるの? 頭悪いなあ』などと思います。 自分には、くだらない話で笑い合える仲間さえいないのに。 実は他人におびえている? このように、 他人なんかどうでもいいと考えるひとの大半は、心のなかで他人を見下しています。 なぜ見下すのかというと、おびえているからです。 自分以外の他人が素晴らしい人間だとしたら、その素晴らしい人たちに受け入れてもらえない自分は劣った人間だということになってしまいます。 でも世の中の人間のほとんどがバカで低レベルで幼稚な人間ならば、彼らと群れて行動していない自分は素晴らしい人間だということになります。 これが、他人を見下す人間の心理です。 他人をバカにすることで相対的に自分の評価を上げようとしているのです。 それも他人に対して自分の凄さを見せつけようとするのではなく、あくまで自分のなかで、自分に言い聞かせるために他人を見下すのです。 なぜそのようなことをするのでしょうか? それは、本当は自分に自信がないからです。 そして、他人が怖いからです。 他人と一緒にいれば、自分のメッキはすぐに剥がれます。 自分は特別な人間であるという妄想はすぐさま剥がされてしまい、等身大の、とるに足らない 『その他大勢でしかない自分』が浮き彫りにされてしまいます。 だから、他人と距離を取ろうとするのです。 他人に興味がないフリをして。 少なくとも、私はそうでした。 他人なんかどうでもいいと思う人の心理 以上のように、かつての私のように他人なんかどうでもいいと思っている人間というのは、基本的には他人に怯えているか、自分は特別だと思い込みたいだけの人間であると思います。 本人は 『そんなことない!』と思いますが、周囲はそうは思いません。 なにより、 『他人なんかどうでもいい。 私はひとりが好きだし、ひとりの方が最高に楽しい!』と主張するひとの、 いつもつまらなさそうな表情や態度、欲求不満そうな雰囲気などで、すぐにそれが虚勢だとバレてしまいます。 私は今のところ、 『ひとりが好き』だと主張する人間で 、幸せそうな顔で生きているひとを見たことがありません。 みんな、なんだか能面のような顔で、つまらなさそうに生きています。 『他人なんかどうでもいい』 という言葉は、裏を返せば、 『誰も私に構ってくれない』 もしくは、 『私は他人が怖い』 という本音を隠しているのではないでしょうか? 人間に興味が持てない理由 他人、というより人間そのものに興味が持てないのも同じ理由だと考えられます。 「あいつらはバカ」 「あいつらは劣っている」 「私はあいつらとは違う」 という防御を崩さないためには、他人の良いところや優れたところから目をそらし続ける必要があります。 だから、無意識のうちに他人に興味を持たないようにしているのです。 『昨日、〇〇さんがこんな楽しいことをした』 と聞けば、 『どうでもいい』 と切り捨て、 『〇〇さんにはこんな良いところがある』 と聞けば、 『どうでもいい』 と切り捨てる。 こうすることで、他人の良いところ、幸せそうなところ、優れているところから目をそらし続けることが出来るのです。 他人に興味を持てないひとは、興味を持てないのではなく、持たないようにしているのではないでしょうか? まとめ 他人なんかどうでもいいと考えるひとは、おそらく99%が単なる強がりや現実逃避ではないかと思います。 本当は寂しくて仕方がないのに、一生懸命に防御して、 『自分は孤独が好き』と自分に言い聞かせようとしているのではないでしょうか? 少なくとも私はそうでした。 今、家族も友人もできて、あのころの自分を振り返ってみると、 『あー、寂しかったんだな』『強がってたな』としか思えません。 他人と一緒にいる今現在が、孤独だったころよりもはるかに居心地が良いからです。 もちろん世の中には本当に孤独が好きなひともいるでしょうが、他人なんかどうでもいいと思って生きているひとだって、ときには寂しくなることもあると思います。 そんなとき、 『私は本当に孤独が好きなのか? 他人といるのが怖いだけじゃないのか? 強がっているだけじゃないのか?』と、自分自身の胸に問いかけてみるのも良いかもしれませんね。

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いいないいな人間っていいな|鈴木正行|note

いい ない いな 人間 て いい な

どうも、おしりを出してくれる女性には一等賞をあげたいジョンです 「あれは子熊がルールを勘違いしている歌らしい……」 十数年前、こんな話がラジオから聞こえてきました。 山口あかりさんの作詞で、アニメ「まんが日本昔ばなし」のエンディングテーマとしても有名な歌です。 そういや私も、子供の頃は不思議に思いながら聴いていましたよ。 初っ端から くまの子みていた かくれんぼ おしりを出した子 一等賞 ですからね。 どういうことやねん でもこれが「ルールを勘違いしていた」とするなら、何となく分かる気がします。 そう考えると微笑ましい光景ですよね~。 ……とまあ、そんな事を最近ふと思い出しまして。 せっかくなんで、もう少し歌詞について考えてみようかと思います。 子熊の勘違い説 実は先ほどの話って、諸説ある内の一つだと言われているんですよ。 後で出てきますが、他には「個性の尊重」みたいな解釈もあったり……。 そりゃあ、ルールを知っていたら変てこな間違いに思うかもしれませんけどね。 でも…… 動物ですから。 それを初めて見たのなら、どう捉えてしまっても無理はないでしょう。 ……というか 寧ろ私は「子熊が勘違いをするから、この歌は成立する」と思うんですよね~。 ちょっと歌詞を見てください。 まぁ「にんげん」と言っているし、内容も人間を客観的に見ている感じなんで、普通に考えたら動物でしょう。 ならば唯一登場している子熊だと考えるのが自然です。 でも正直な話、私はこの考えに違和感がありました。 だって…… サビの歌詞には「誰の視点か?」が明確に示されていませんからね。 誰かが客観的に見ていることは分かっても、誰の主観で見ているかまでは分からない。 そんな曖昧な状況で子熊だと決定づけるのは「内容が動物の発言っぽい」という一点のみ。 これが何か気持ち悪かったんです。 もっとハッキリと示されてなければ腑に落ちないというか……。 変な話、これを「子供の視点」として考えられなくもないですから。 自分たちの事を指して「にんげんっていいな」と思ったのかもしれない。 家に居る親に対して「子ども(自分)の帰りを待ってるだろな」と思ったのかもしれない。 友達が帰るから「ぼくも帰ろ」と思ったのかもしれない。 でも、そうなってくると「何の歌やねん?」って話ですよ。 子供が外で遊び、夕方になって家に帰る。 ハードボイルドか ま、べつにそういう歌があっても悪かないですけど、あくまでこれは童謡ですからね。 やはり「動物が人間を客観的に見ている」という方がしっくりきます。 一つのストーリー 動物が人間の子供を客観的に見ている。 サビ以降の描写は、これで間違いないでしょう。 そして、それは唯一登場している子熊だろうと見当は付きます。 でもサビ以降の歌詞には「誰の視点か?」が明確に示されていません。 だからイマイチ内容の筋道がしっくりこない。 これが「子供を見ている子熊の視点」を描いています。 ……さて ここで一度、私の解釈と合わせた歌詞を見てください。 くまの子みていた かくれんぼ おしりを出した子 一等賞 子熊が人間の子供たちの様子を見ている。 「どうやら、お尻を出したあの子が一等賞らしい……」 夕焼けこやけで またあした またあした 日が暮れて、子供たちが帰って行く姿を見ている子熊。 くまの子みていた かくれんぼ これだけじゃ「子供の草野球を見ている散歩中のオジサン」が如く、偶然その場に居合わせただけとしか思えなかったんで。 なんなら自然の中で遊んでいる様子を描くために、わざわざ森の動物を登場させただけやと思っていました。 だから殊更、サビの歌詞に違和感があったんですよね~。 二番に戸惑う 今回「にんげんっていいな」を考察するにあたって、改めて歌詞を調べたんですが……。 この歌って…… 二番があったんですね~。 私は『まんが日本昔ばなし』のエンディングテーマでしか聴いたことがなかったんで、全く知りませんでした。 どうやらアニメで流れていたのは一番+二番のサビ(大サビ)だったようです。 ……で 初めて二番の歌詞を見て、正直、少し戸惑いました。 ちょっと見てください。 もぐらがみていた 運動会 びりっ子元気だ 一等賞 夕焼けこやけで またあした またあした いいないいな にんげんっていいな みんなでなかよく ポチャポチャおふろ あったかいふとんで 眠るんだろな ぼくも帰ろ お家へ帰ろ でんでんでんぐりがえって バイバイバイ 今度はモグラが運動会を見ています。 でも運動会って、明らかに順位を競っていますからね~。 びりっ子=足が遅い子 元気だ一等賞=元気なことは良い事だ つまりは「たとえ足が遅くても、元気なら良いんだ」みたいな。 そして、その考え方を一番にも当てはめて…… おしりを出した子=簡単に見つかるドジな子 だから「どんくさくても良いんだ」みたいな。 更に、これらの解釈から…… 「たとえ人より劣っていたとしても、子供が元気でいてくれたらそれでいい」 「君はそのままでも素晴らしいんだ」 そんなメッセージが込められている歌だという結論に至るんだとか。 素敵やん 心温まるやん ……ま、私は違うと思うんですけどね。 メッセージよりもストーリー性 確かに、子供へ向けたメッセージとしては尤もらしい内容です。 「子供の個性を尊重する」なんてのは、子育て論や教育論に於いて必要でしょう。 先ほどから言っていますが、この歌は「動物が人間の子供を客観的に見ている」という内容です。 サビの歌詞が誰かの視点で描かれていて、唯一それに当てはまるのは最初に登場する動物だけ。 だから冒頭で「子供を見ている動物の視点」を描く必要があります。 それなのに…… 「たとえ足が遅くても、元気ならそれでいいんだ」 誰やねん? これは明らかに子供より目上やから言えるセリフで、しかも子供を見守る立場の視点です。 でも子熊は文字通り子供やし、モグラも恐らくは子供なんで彼らの視点じゃありません。 つまり、この解釈ではサビの「誰の視点か?」を明確に示せていない。 だから私は違うんじゃないかって思うんです。 まぁ他にも違和感はありますけどね……。 そりゃあ勘違い説のように想像を膨らませるパターンなら、幾らでも理由は考えられますよ。 ただ、そもそもの話…… 二番の解釈が歌詞を直接繋げた形ですからね。 「びりっ子(でも)元気だ(から)一等賞」てな感じで。 でも一番の歌詞には、二番のような「元気だ」という言葉がありません。 「おしりを出した子(でも?)(だから?)一等賞」 いくらなんでも、これで「どんくさくてもいいんだ」というのはチョット……ねえ。 どうも二番の「それでもいいんだ」的な解釈ありきでこじつけているような……。 そりゃあ私は、ぶっ飛んだ発想やトンデモな理屈が好きですけどね。 でもさすがにパターンや法則を無視して成立させるってのは、何か違うような気がします。 あと、これは完全に個人的な感覚なんですが…… 歌の意味が「たった一行の歌詞」で成り立つってのも変かと。 短い童謡なら分かりますけどね。 でもAメロBメロがあって、サビもあって、更に二番に分かれていて、最後には大サビまである。 そこまで長い歌なのに「歌い出しの一行だけで意味が成立する」ってのは、歌詞を考えるのが好きな私としては少し寂しいような……。 …… ……あ! そういえば私が考える二番の解釈を忘れていましたね。 モグラは最下位の子を見て一等賞だと勘違いできるのか? モグラの勘違い説 正直なところ、かくれんぼと違って「最下位で走る子供」を一等賞だと勘違いするのは厳しいところです。 ただ最初の方でも言いましたが、これは動物ですからね。 自分たちと関わることのない人間の運動会。 それを初めて見たとすれば、多少は無茶な理屈でも通ります。 だから私はこう考えました。 「一番大きな拍手と声援を貰っているから、あの子が一等賞かな?」ってな感じで。 運動会ってのは面白いもんで、ドンケツを走っている子には多くの声援が送られます。 特に幼稚園や保育園なら、下手すりゃ1位の子より応援されているかもしれません。 更にゴールを迎えたら「よく頑張った」と大きな拍手が送られることでしょう。 だからモグラは、その様子を見て勘違いしたわけです。 まぁ我ながらトンデモな理屈ですが、これでも確信はありますよ。 でも運動会としているのは、そこに勘違いを生む要素があるからなんでしょう。 そう考えると、やはり拍手や声援がカギだと思うんですよね~。 モグラは大きな声援と拍手が送られている子を一等賞だと勘違いした。 二番の解釈は、これで決まりでしょう。 ……ところで 勘違い説には否定的な見解もあるんですよね~。 「人間について理解するほど知能が高いなら、簡単なルールを間違えるはずがない」みたいな。 確かにサビの歌詞を見れば、動物は人間について理解しているようにも思えます。 おやつやご飯を用意して親が待っていることや、お風呂に入って布団で寝ることを思い浮かべていますからね。 でも…… それに近いものは動物の日常にもあるわけで。 子供のためにエサを獲ってくる親。 水浴びや温泉に入る習性。 快適な巣穴や寝床を作る作業。 こういうのって人間と動物では形式が違うだけで、わりと基本的なことなんじゃないかと。 逆に言えば、ご飯や風呂、布団で寝ることを分かっている人間の2~3歳児でも、鬼ごっこのルールまでは理解するのが難しかったりします。 だから動物が人間について多少は理解をしていたとしても、それだけで「勘違いするはずがない」とは言い切れないでしょう。 まぁ正直なところ…… べつに私は動物が勘違いしていなくてもいいんですよ。 「これは動物の視点だ」ということが明確に示されて、その後のストーリーに繋がっていれば、冒頭の解釈は何でも構いません。 何気ない日常の幸せ この歌は「子熊やモグラが人間の様子を見て勘違いしていた」というストーリーだった。 何かこれで話が終わりそうな気もするんですが……。 サビの歌詞についても色々と考えられそうなんで、もう少しお付き合いください。 ……で この「にんげんっていいな」というサビの歌詞なんですが…… 子供の頃は正直ピンときませんでした。 一番 いいないいな にんげんっていいな おいしいおやつに ほかほかごはん 子どもの帰りを 待ってるだろな 二番 いいないいな にんげんっていいな みんなでなかよく ポチャポチャおふろ あったかいふとんで 眠るんだろな 動物が「いいな」と思い浮かべているのは、わりと何気ない日常の一コマです。 ていうか、子供のいる家庭には割と当たり前の光景かもしれません。 だから私もアニメを観ていた当時は「言うほどのもんか?」なんて思っていました。 でもこれって…… 本当は幸せな事なんですよね~。 親が自分の帰りを待っていたり、家族で仲良くお風呂に入ったり。 親の愛情に包まれ、そして家族と一緒に過ごす日々。 子供にとって、これほど幸せなことはありません。 だから子熊やモグラは、その光景を思い浮かべて「いいな」と思ったんでしょうね。 ……ん? いやいやいや この幸せって…… 人間も動物も大して変わりませんよね? 先ほど言いましたが、サビの歌詞で描かれている光景は動物の日常にも近いものがあります。 ならば動物にも親兄弟がいて、そこに愛情があると考えるのが自然です。 じゃあ、何を以ってして「にんげんっていいな」と思ったのか? 実はこれ…… そんなに深く考える問題じゃないかもしれません。 子熊やモグラは、人間の子供が遊んでいる様子を見ていました。 そして夕方になり、子供が帰っていく姿を見ながら色々と思い浮かべます。 動物の子供が人間の子供を見ている。 つまりこれは…… よその家を羨ましがっているだけなんですよ。 え? 発想が斜め過ぎました? ないものねだりで気付くこと 子供の頃は、誰でも他人の家庭を羨ましく思ったりするもんです。 家でクッキーを焼いてくれる美人の母親 守ってあげたくなるような可愛い妹 カッコ良くて頼りになる兄 もちろん家族だけじゃなく、その家の生活スタイルに憧れることもあるでしょう。 違う環境、違う境遇で生きていると、多少は隣の芝が青く見えたりしますからね。 子熊やモグラにとっては、それが人間だったという話。 かくれんぼや運動会のルールは、ずっと見ていてもよく分からない。 でも彼らの日常が幸せに思えるし、それが自分には羨ましく感じる。 だから「にんげん(=あの子たち)っていいな」と思ったわけです。 確かに「よその家を羨ましがっている」なんて言うと、妙に生々しい感じがして童謡の世界っぽくないかもしれません。 でも「動物が人間を羨ましがっている」という図式は、余りにも立場が一方的過ぎますからね。 人間賛歌やあるまいし。 それなら、ないものねだりで「(動物の)子供がよその(人間の)子供を羨ましがる」という方が可愛らしくて私は好きです。 ちなみに最後の歌詞なんですが……。 ぼくも帰ろ お家へ帰ろ でんでんでんぐりがえって バイバイバイ 一見すると、単なる話の締めくくりにも思えます。 「あの子たちも帰ったし、日が暮れているから自分も帰ろうか」みたいな。 でもこれまでの話から考えていくと、わざわざここで「お家へ帰ろ」と言っている点が気になりました。 「にんげんっていいな」と思いながらも、何だかんだで自分たちの幸せも分かっている。 私はそんな気がします。 結局「にんげんっていいな」は何の歌だったのか? 「動物の子供が人間の子供を見て、ちょっぴり羨ましく感じた」 ただ、それだけの物語。 これが私の結論です。 でも動物の視点で「にんげんっていいな」と考えることで、色々と気付けたこともありましたね。 ……ん? もしかして、そういう歌だったのかも……。 それではまた、別の話でお会いしましょう.

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いいないいな人間っていいな

いい ない いな 人間 て いい な

この記事は以下の悩みを持つ人にオススメです。 相手が頭のいい人かどうか見分けたい• 上司や指導者が本当に信頼できるレベルの人間なのか知りたい• 人間観察力や人を見る目を磨きたい• 自分が営業マンとして信頼される話し方をしたい• 相手に一目置かれる話し方をしたい こういった人たちの悩みを解決していきます。 今回は人間観察の一環として 会話をしていて 「コイツ、頭がいいな」 と感じさせる相手の話し方の特徴について 扱っていきます。 どうしてこんなことを自信満々に扱えるかというと 僕が元々は トップ営業マンとして毎日たくさんの人に会ってきたからです。 その中で 「この人は立派なことを言うわりに話してみると頭が悪いんだな・・・。 多分、上司の受け売りしか言えない空っぽな人なんだな」 とか 「この人は見た目はさえないけど頭の回転が早い人だな」 「この人は仕事ができるタイプの人だわ。 話して分かる」 などと相手の様子や話し方を見て分かるようになってきました。 先日に投稿した と話がつながるわけです。 そして僕が 「コイツ、頭がいいな」 と思う人には共通する特徴がいくつかあったのです。 今回はその経験に基づいた気づきをまとめていきます。 「頭がいい人」の定義については後述しますので まずは「頭がいい人」の話し方の特徴について話します。 本記事の内容 目次• 頭がいい人の定義 ひとくちに 「頭がいい人」と言っても 曖昧なのでここで定義します。 まず、• 高学歴• 高偏差値• もの知り• 知識が豊富• 学問を究めている については「頭がいい人」に含めません。 ここで指す「頭がいい人」とは• 物事の本質を見極められる• 多角的に物事を見ている• 頭の回転が早い• 自分で考える力がある• 論理的思考力が優れている• 理屈が分かる• 賢い処世術を身につけている といった部分を持っている人です。 こうすると東大生であっても頭がいいと言えない人が存在することになります。 東大卒だからと言って必ずしも仕事が優秀とは限らないのと同じです。 また、家の経済状況によって進学できない人も世の中にはいるので 学歴を判断基準にするのは正確とは言えないでしょう。 知識量についても分野やジャンルによって人それぞれなので 知識量で「頭がいい人」なのかどうかを判断するのもふさわしくありません。 よって 専門用語や業界用語・ビジネス用語など難しい言葉を使ったところで 「頭がいい人」の話し方であるとは言えません。 難しい言葉を使うよりもむしろ相手に合わせて分かりやすい言葉で難しい内容を かみ砕いて説明する方がより知的です(池上彰さんは良い例ですよね)。 そう考えれば今回の「頭がいい人」の基準は非常に 公平かつ 公正であると言えます。 これを踏まえた上で本題に進みましょう。 頭がいい人の話し方の特徴 早口である 早口であることは決して褒められたことではありませんが 早口で話せる人は頭の回転が早い人です。 頭の中で考えていることを言葉で追いつこうとしているために 無意識に早くなってしまうのです。 YouTubeで 落合陽一さんやメンタリストの DaiGoさんが話しているのを見ると分かりますよね。 逆に 早口にならないように相手に合わせてあえてゆっくり話す人もいるので 一概に早口じゃない人が頭のよくない人とは言えませんが 早口の人は頭の回転が早い人と判断して間違いないでしょう。 要領良く飲み込みも早いタイプです。 感情論ではなく論理で話す 感情論が強い人は頭の弱い人です。 感情は人それぞれですからぶつけ合ったところで 何も生産性はありません。 なぜそうなったか• どうすれば良くなるのか といった 問題解決をするためには論理が必要です。 また、感情論は理想論にもなりえます。 理想論ばかり掲げて夢に浸ったり思いを強くしても• どうやってそれに近づけるのか• 最短で効率よく達成するためにはどうすればいいのか• どこを妥協しないといけないのか という 現実的な側面を見直すためにも論理が必要不可欠です。 例えば、 明らかに市場や世の中の動きを無視したビジネスを始めて 「絶対に成功するんだ」 「仲間と一緒にがんばるんだ」 「成功したいという思いが大切で・・・」 と感情論で訴えかけてくる人がよくいますが ビジネスは サークルではなく 営利活動なのですから 論理や数字で考えられない人はまず 冷静に考えましょう。 ここら辺が話していてしっかりしている人は地に足のついた人と言えるでしょう。 結論から明確に話す 始めから丁寧に 「ああして、こうして こうなって、・・・ だからこうなりました!」 と言うよりも 「結論から言うとこうなりました。 なぜかというと ああして、こうして こうなったからです!」 という言い方のほうがスマートです。 始めから前置きが長いと聞き手は 「で、結局なんなの?」 「何が言いたかったの?」 と 話を聞いていてうんざりしてしまいます。 例えば会話の中で相手が唐突に全く関係ない体験談を話し始めたら 「ん?」 ってなりますよね。 それよりも最初から 「私も同じような経験をしたことがあって・・・」 と言ってから体験談を話した方が聞き手もこの後の話を聞きやすいです。 こういうスマートな話し方をする人は「頭がいい人」と言えるでしょう。 話を整理できています。 物事を俯瞰して良い面と悪い面を話す 先ほどの感情論の話と似てきますが、 物事を良い面しか話さなかったり 悪い面しか話さない人は感情が強いタイプです。 物事には必ず良い面と悪い面があります。 例えが極端になってしまいますが 「戦争は良くないものだ!」 という主張は確かに分かりますが 僕から言わせてもらうと戦争反対論者のほとんどが考えが浅はかに感じてしまいます。 戦争に悪い面しかないのであればどうしてこれまでの長い歴史で 戦争が繰り返されてきたのでしょうか。 出来事が起こるのには必ず誰か得する立場の人がいるからです。 簡単に言うと戦争は儲かるんです。 武器を作る工場(軍需産業)がどんどん武器を作っては売れるので儲かります。 日本が戦後に急激な高度経済成長を迎えられたのも 朝鮮戦争に使うアメリカ軍の兵器を作るために日本の産業が活性化し、儲かったからです。 他にも戦争の良い側面は国民の政治に対する不満をそらすことができることが挙げられます。 国民同士で外国という共通の敵を作れば不満の矛先は外国に向かい、国民同士の結束力も深まります。 そうなれば国民同士が協力しあって国の発展のために尽くしてくれるので経済も上向きになります。 このように 感情論や倫理観を排除して 物事の良い面と悪い面を両方見た上で話せる人は「頭がいい人」と言えるでしょう。 そうやって 俯瞰した上で 自分の意見をしっかり言える人ならベストです。 事実と自分の感想を分けて話す 事実と自分の意見を混同させて話してややこしくする人が 世の中の人に結構多いです。 Aさんに何かをされたことを相手に伝える時に 「Aさんがこういうふうにしたいのかこうして、 それに対して私がこう言ったら Aさんはこう思ったのかこうしてきて、私をギャフンと言わせるためにこう言ってきた」 この言い方に違和感を感じませんか? Aさんの行動という 事実と、「私」の 個人的な推測や 感想が ごちゃ混ぜになっているので 聞いている第三者からすると状況を把握できなかったり 一方的にAさんが悪いという錯覚に陥らせてしまいます。 理想的な言い方は 「私はAさんはおかしいと思う。 まず何があったかというと Aさんがこうしていた。 それに対して私がこう言ったら Aさんはこうしてこう言ってた。 先に結論である 「Aさんはおかしいと思う」を持ってきて (結論から話した方がいいのは前述の通り) その後に事実の一連の流れを言い 最後にその中からおかしいと思う部分をピックアップし それに対して自分の感想を話しています。 このように 事実と自分の感想を分けて話せる人は「頭がいい人」だと言えます。 セールスの世界ではよくあるテクニックです。 この例え話も相手にとって分かりやすいものを使って例えると理解してもらいやすいです。 相手がバスケ部だったらバスケを使った例を。 相手が釣り好きだったら釣りを例にして説明する、と言った感じです。 相手に合わせて分かりやすい例え話を使って説明できる人は「頭がいい人」でしょう。 相手の言いたいことを先回りして反論処理をする これもセールスの基本と同じです。 ただ、セールスの場合はあらかじめ反論処理を用意しているので マニュアル的にお客さんからの反論に対して答えていけばいいのですが 普段の会話の中で相手の言いたいことを先回りして反論処理するのは 頭の回転が早くないとできません。 自分がどういう人間なのかを熟知している これは就活の自己分析に通ずるところもありますが 自分の強みと弱みなんかが分かりやすいのではないでしょうか。 ユーモアのある皮肉を言える 素直でバカ正直な人は人を疑うことをせず、 自分で考えずに他人に依存する傾向があるので 皮肉を言いません。 しかし 人の言葉を鵜呑みにせず自分の意見を持っていたり しっかりと相手を見て考える人は相手のおかしい部分に気づき 皮肉を言えます。 皮肉を言うためには 頭を使っていることが前提になります。 その皮肉もただの皮肉ではなく ユーモアを交えた面白い皮肉を言うのであれば それだけの余裕をその人は持っていることになります。 僕も個人的にユーモアのある皮肉を言う人とは話してて楽しいですし そういう人は核心をついた発言をしてくれるので 話しているだけで新たな気づきを得られます。 まとめ ・早口である ・感情論ではなく論理で話す ・結論から明確に話す ・物事を俯瞰して良い面と悪い面を話す ・事実と自分の感想を分けて話す ・例え話が分かりやすい ・相手の言いたいことを先回りして反論処理をする ・自分がどういう人間なのかを熟知している ・ユーモアのある皮肉を言える 以上が 「コイツ、頭がいいな」と分かる話し方の特徴でした。 今まで会った人の中で頭がいいなと思う人を思い浮かべると いくつか当てはまって納得できるのではないでしょうか? こういった特徴が全部とは言わずとも当てはまる人がいたら 頭のいい人だと思って間違いはないでしょう。 逆に自分が頭のいい人の話し方をしたいなら 上記の項目に当てはまるように話し方を変えてみるといいでしょう。 営業で使えばお客さんも良い印象を持ってくれるはずです。 女性でこのような話し方をする人は知的で一目置かれる存在になると思います。 LaravelとVueを扱うWeb系エンジニア。 早稲田大学社会科学部出身。 週4の筋トレに励んでいる。 胸よりも背中を大きくしたい派。 過去に投資商材の営業とMLM共に組織内トップになるも身を退く。 詐欺や洗脳などの汚い業界に詳しい。 学生時代に家庭環境と学校の人間関係により鬱病を経験。 必死で働いていた営業会社が詐欺会社であった。 これまでに給料未払い・借金利息・投資含み損・情報商材・詐欺で合計800万円以上の損失を経験。 、なにかと詐欺と縁が深い。

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