菊地 加奈子。 UCBジャパン 新社長に菊池加奈子氏就任へ 前GSK社長

働くために保育園を作った! 5児の母・菊地 加奈子さんの公私混同<後編>│mazecoze研究所

菊地 加奈子

社会保険労務士法人 ワーク・イノベーション 代表社員 菊地 加奈子 氏 私には子どもが5人。 自分自身のキャリアと家族は、保育園に助けられてきた。 私は5年前、自宅近くに保育園をつくった。 まさに、「自分の子どもをみてもらえるように」という理由からだ。 便利さを追求するために洗濯サービスやおむつの提供と、働く母の満足をとことん考えた。 また、社労士のプライドにかけて保育士の世界にありがちな時間外労働・サービス残業をなくしていくことにもこだわった。 しかし、保育士との関係づくりにはとても苦慮した。 なぜならば彼らの保育というものはあくまでも子ども中心で、「サービス」とか「効率化」といった言葉と真逆の世界だったからだ。 当初はそんな保育園の世界に大きな違和感と問題意識を持った。 この意識を変えていかなければ保育士は潜在化する一方で、我われ働く母たちにとっては大きな危機だ、と。 確かに保育士の労働環境には改善すべき点が多い。 ただ、時間の経過とともに新たな点にも気付いた。 それは、働く母親としてみてきた保育園と、保育園経営者としてみえる保育園と、社労士として捉える保育園がそれぞれ異なっているということだ。 子どもが健やかに育つことが働く親にとって何よりの幸せだ。 一方で母たちは自身のキャリアと子どもとの時間を秤にかけて常に悩んでいる。 2度と戻らないわが子の1日を大切にしてあげられているか。 1日を終える瞬間に、「今日は自分にとって満足のいくものだったか」そして「母としての喜びを感じられるものであったか」と。 そんな問いかけに、立ち止まってしまうこともある。 そして保育士たちも悩む。 ある職員面談をしていたとき、一人の保育士が涙を流して訴えてきた。 子どもの一瞬、一瞬を大切にしてあげたいのに、あまりにも多忙で「やり過ごしてしまう」ことが悔しいという。 両立支援と保育の問題はつながっている。 そして、子どもを中心に据えることで、企業における働き方も保育のあり方も変わるのだと肌で感じるようになった。 単なる育児と仕事の両立、ではなく、子どもの育ちというものをより深く企業も親たちも保育者たちも学んでいくことで、自ずと働き方は変わっていくのだ。 そんな考えの下、企業内保育園を幅広く支援するようになった。 労務の部分だけでなく、両立支援にも保育内容にも深くかかわる中で、いま、私は本当の意味での「働き方改革」と向き合う実感が持てることに幸せを感じている。 社会保険労務士法人ワーク・イノベーション 代表社員 菊地 加奈子【神奈川】 【公式Webサイトはこちら】.

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法人概要

菊地 加奈子

6人目の命がお腹にやってきた。 41歳、経営者。 現実を受け止めるまでに正直、時間がかかった。 妊娠発覚の経緯 年の瀬の繁忙期。 いつもは子どもを寝かしつけたあと、夜中に起きて仕事をするのが習慣なのだけど起きられない日が続いた。 だるさや熱っぽさもあり、37. 5度前後の熱も一週間以上。 そのうち胃のムカムカも出てきて、「いよいよ日頃の過労がたたったかもしれない」とも思い、事務所のビルの中に入っている内科のクリニックへ仕事中にこっそり受診しに行った。 診察では異常は認められなかったものの、体重が3㎏も落ちていること、1週間以上も吐き気と微熱が続いていることを告げると「今度胃カメラを飲んで詳しく検査しますか?」と勧められ予約をすることに。 (この間、医師ですらこの問診で1㎜たりとも妊娠を疑わなかったのは高齢出産の現実か・・・) 胃カメラ当日、風邪を引いてしまい鼻が詰まってしまう。 胃カメラは鼻から入れるものを選択していたたため鼻づまりはNGで、不安は残るもののキャンセルの連絡をする。 今思うと幸運だったといえる。 ・・・直後、「妊娠」という一つの限りなく小さい可能性が浮かんだ。 絶対にあり得ないと思いつつも検査をするとあっという間に陽性反応。 現実と向き合う 5人目の末娘が4歳半。 春から幼稚園に行くようになってから、トイレも着替えもほぼ一人でできるようになった。 14年ぶりにわが家におむつがない生活がやってきた。 一人で歩いてくれる、物音がしても夜中に起きないから仕事を中断されることもない、車に乗り込むときも抱っこで乗せてベルトを締める必要もない、言葉で大抵のことが伝わる、 5人のきょうだいたちは本当に仲が良く、日々助け合い、夜はいつも集まって楽しそうに遊んでくれる・・・私にとってはこの上なく快適な毎日だった。 仕事の方は5人目が産まれたときも忙しかったことを記憶しているけれども、今はさらにその比ではない。 個人事務所だった当時から代表を務める法人は2つ。 さまざまなマネジメントも実務もこなす。 エリアは全国規模なので毎月の出張も必須となっている。 同じオフィスで働く夫の強力なサポートはもちろん、今こうして全国飛び回って働くことができているのはやはり子どもたちの成長が大きいと感じる。 それゆえに今のギアを上げ始めた状態からまた減速しなければならないことへの失望感は大きかった。 そして自分のやる気の問題よりも、組織のトップとしての「責任」がさらに重くのしかかった。 育児休業を率先して取る社長は増えている。 社会的評価も高い。 逆にお客様の方はというと、5人目の妊娠報告の時も当然ながら戸惑う方が多かった。 「やっていけるの?」「本当に5人も育てられるの?」そんな率直な言葉も受けた。 そういった声が行く先々から飛んでくることが分かっていたので、結局は「自分自身はどうしたいか」ということが一番大切なんだと思いつつも、ますます答えが出せなくなっていった。 夫は?というと、そんな私の葛藤を横で見ながら「自分としては赤ちゃんに会いたい気持ちだけど、責任や葛藤はよくわかる。 だからどんな答えを出しても納得すると思う。 」そんな風に言われた気がする。 産婦人科にて そんなこともあり、2度目の産婦人科の検診時には別の病院へ行き、「産むことを迷っています。 」と正直に医師に告げた。 医師は表情を変えずに、「今の手術はすぐ終わるし術後の負担も少ないんですよ。 」と淡々と説明を始めた。 いやいや、まだそこまで決めたわけでは・・・と内心思いつつも淡々と診察は続く。 診察台に載ると、普通はモニターが見られるのになぜか見えない。 診察室に戻ると超音波写真が裏返しに置かれていた。 「もし見たかったら見てもいいですよ。 」と言われ、私はまだそこまでの罪悪感というものはなかったので普通に写真を見た。 いつもよりぼんやりとした写真だった。 ・・・こういうことか。 だんだん現実を受け止めつつも「早い方が負担は少ないですよ。 予約入れますか?」という言葉を聞いて「もう少し考えます。 」と病院を出た。 ちょうど名前が呼ばれる直前にふと目にしたネット記事に、企業の女性活躍をリードしている著名な女性の講演の内容が目に入ってきたのだけれども、そこに 「迷っているなら産みなさい。 今あなたたちの中にわが子を産まなければ良かったと思っている人はいますか?」 と書いてあった。 何となく気持ちの整理もしたくて、午後にもともと予約していたクリニックへ同日に2度目の受診をした。 何も言わずに夫はついてきてくれて、子どもたちも何かを察したのか、長時間5人で留守番をしてくれていた。 「おめでとうございます。 元気に育っていますよ。 」 午前中と180度違う医師の対応に戸惑いつつも、この「おめでとう」という言葉が私にはストンと胸に落ちた。 そこでようやく覚悟が決まった。 これからのこと これまでなぜ5人も子どもを産めたのかと考えたとき、いつも「いま自分のお腹に新しいがやってきたことには意味がある。 きっと道は切り拓けるはず」という超楽観的な希望的観測で受け止めてきたことが大きい気がする。 会社員だった長女の時から始まり、専業主婦で出産した次女、社労士の国家試験を妊娠しながら受けた三女、たった一人の個人事業主として出産に臨んだ長男、小さな組織の経営者となった四女・・・それぞれ苦労も大きかったものの、とても幸せなことに希望は叶ってきたし、もっと言うと勢いで何とかなってきた。 でも今回は経営者としても家計に大きく影響を持っている妻・母の立場としても、自分自身の健康面を考えても、これまでとは違う意識でもっともっと盤石な体制を整える必要があると感じる。 (今さらながら・・・) 自分が産前産後の休みを取るための体制作りというよりは、身体に負担をかけずに事業を継続すること、保育園に預けるまでの仕事のこと(自社で保育園を持っているが、通常の保育園と同様、産後57日~の預かりのため)、今後の出張などの方法、上の子どもたちの受験や一人一人との向き合い方など、仕事と家庭生活の具体的なことを一つ一つ考えていかなければいけない。 責任はこれまで以上に大きい。 でも、頼れる人やサービスの選択肢はこれまで以上に増えているのも事実。 人よりも長い間、いろんなタイプのわが子たちの乳幼児期と真剣に関われることは何とも幸せなことだと思う。 仕事との両立を考えると大変なことが真っ先に思い浮かぶものの、それを上回る楽しさや幸せがあるから産もうと思えるのだろう。 常識にとらわれず、いろんなチャレンジをする良い機会と思って新しい環境をつくっていきたい。

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保育園落ちたから自分で作った。専業主婦から経営者へ。5人の子育てを経て画期的な制度に取り組む(小酒部さやか)

菊地 加奈子

6人目の命がお腹にやってきた。 41歳、経営者。 現実を受け止めるまでに正直、時間がかかった。 妊娠発覚の経緯 年の瀬の繁忙期。 いつもは子どもを寝かしつけたあと、夜中に起きて仕事をするのが習慣なのだけど起きられない日が続いた。 だるさや熱っぽさもあり、37. 5度前後の熱も一週間以上。 そのうち胃のムカムカも出てきて、「いよいよ日頃の過労がたたったかもしれない」とも思い、事務所のビルの中に入っている内科のクリニックへ仕事中にこっそり受診しに行った。 診察では異常は認められなかったものの、体重が3㎏も落ちていること、1週間以上も吐き気と微熱が続いていることを告げると「今度胃カメラを飲んで詳しく検査しますか?」と勧められ予約をすることに。 (この間、医師ですらこの問診で1㎜たりとも妊娠を疑わなかったのは高齢出産の現実か・・・) 胃カメラ当日、風邪を引いてしまい鼻が詰まってしまう。 胃カメラは鼻から入れるものを選択していたたため鼻づまりはNGで、不安は残るもののキャンセルの連絡をする。 今思うと幸運だったといえる。 ・・・直後、「妊娠」という一つの限りなく小さい可能性が浮かんだ。 絶対にあり得ないと思いつつも検査をするとあっという間に陽性反応。 現実と向き合う 5人目の末娘が4歳半。 春から幼稚園に行くようになってから、トイレも着替えもほぼ一人でできるようになった。 14年ぶりにわが家におむつがない生活がやってきた。 一人で歩いてくれる、物音がしても夜中に起きないから仕事を中断されることもない、車に乗り込むときも抱っこで乗せてベルトを締める必要もない、言葉で大抵のことが伝わる、 5人のきょうだいたちは本当に仲が良く、日々助け合い、夜はいつも集まって楽しそうに遊んでくれる・・・私にとってはこの上なく快適な毎日だった。 仕事の方は5人目が産まれたときも忙しかったことを記憶しているけれども、今はさらにその比ではない。 個人事務所だった当時から代表を務める法人は2つ。 さまざまなマネジメントも実務もこなす。 エリアは全国規模なので毎月の出張も必須となっている。 同じオフィスで働く夫の強力なサポートはもちろん、今こうして全国飛び回って働くことができているのはやはり子どもたちの成長が大きいと感じる。 それゆえに今のギアを上げ始めた状態からまた減速しなければならないことへの失望感は大きかった。 そして自分のやる気の問題よりも、組織のトップとしての「責任」がさらに重くのしかかった。 育児休業を率先して取る社長は増えている。 社会的評価も高い。 逆にお客様の方はというと、5人目の妊娠報告の時も当然ながら戸惑う方が多かった。 「やっていけるの?」「本当に5人も育てられるの?」そんな率直な言葉も受けた。 そういった声が行く先々から飛んでくることが分かっていたので、結局は「自分自身はどうしたいか」ということが一番大切なんだと思いつつも、ますます答えが出せなくなっていった。 夫は?というと、そんな私の葛藤を横で見ながら「自分としては赤ちゃんに会いたい気持ちだけど、責任や葛藤はよくわかる。 だからどんな答えを出しても納得すると思う。 」そんな風に言われた気がする。 産婦人科にて そんなこともあり、2度目の産婦人科の検診時には別の病院へ行き、「産むことを迷っています。 」と正直に医師に告げた。 医師は表情を変えずに、「今の手術はすぐ終わるし術後の負担も少ないんですよ。 」と淡々と説明を始めた。 いやいや、まだそこまで決めたわけでは・・・と内心思いつつも淡々と診察は続く。 診察台に載ると、普通はモニターが見られるのになぜか見えない。 診察室に戻ると超音波写真が裏返しに置かれていた。 「もし見たかったら見てもいいですよ。 」と言われ、私はまだそこまでの罪悪感というものはなかったので普通に写真を見た。 いつもよりぼんやりとした写真だった。 ・・・こういうことか。 だんだん現実を受け止めつつも「早い方が負担は少ないですよ。 予約入れますか?」という言葉を聞いて「もう少し考えます。 」と病院を出た。 ちょうど名前が呼ばれる直前にふと目にしたネット記事に、企業の女性活躍をリードしている著名な女性の講演の内容が目に入ってきたのだけれども、そこに 「迷っているなら産みなさい。 今あなたたちの中にわが子を産まなければ良かったと思っている人はいますか?」 と書いてあった。 何となく気持ちの整理もしたくて、午後にもともと予約していたクリニックへ同日に2度目の受診をした。 何も言わずに夫はついてきてくれて、子どもたちも何かを察したのか、長時間5人で留守番をしてくれていた。 「おめでとうございます。 元気に育っていますよ。 」 午前中と180度違う医師の対応に戸惑いつつも、この「おめでとう」という言葉が私にはストンと胸に落ちた。 そこでようやく覚悟が決まった。 これからのこと これまでなぜ5人も子どもを産めたのかと考えたとき、いつも「いま自分のお腹に新しいがやってきたことには意味がある。 きっと道は切り拓けるはず」という超楽観的な希望的観測で受け止めてきたことが大きい気がする。 会社員だった長女の時から始まり、専業主婦で出産した次女、社労士の国家試験を妊娠しながら受けた三女、たった一人の個人事業主として出産に臨んだ長男、小さな組織の経営者となった四女・・・それぞれ苦労も大きかったものの、とても幸せなことに希望は叶ってきたし、もっと言うと勢いで何とかなってきた。 でも今回は経営者としても家計に大きく影響を持っている妻・母の立場としても、自分自身の健康面を考えても、これまでとは違う意識でもっともっと盤石な体制を整える必要があると感じる。 (今さらながら・・・) 自分が産前産後の休みを取るための体制作りというよりは、身体に負担をかけずに事業を継続すること、保育園に預けるまでの仕事のこと(自社で保育園を持っているが、通常の保育園と同様、産後57日~の預かりのため)、今後の出張などの方法、上の子どもたちの受験や一人一人との向き合い方など、仕事と家庭生活の具体的なことを一つ一つ考えていかなければいけない。 責任はこれまで以上に大きい。 でも、頼れる人やサービスの選択肢はこれまで以上に増えているのも事実。 人よりも長い間、いろんなタイプのわが子たちの乳幼児期と真剣に関われることは何とも幸せなことだと思う。 仕事との両立を考えると大変なことが真っ先に思い浮かぶものの、それを上回る楽しさや幸せがあるから産もうと思えるのだろう。 常識にとらわれず、いろんなチャレンジをする良い機会と思って新しい環境をつくっていきたい。

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