登山 家 野口。 “未踏への挑戦” 野口健親子アフリカの頂上へ。 17日、日本を出発。

登山家・野口健、「16年中15年別居」の結婚生活 高嶋ちさ子は「他に女が…?」と呆れ (2019年6月4日)

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さらに、環境教育の必要性が訴えられている中で、次世代の環境問題を担っていく人材育成の必要性を痛感して、小・中・高・大学生を対象とした「野口健環境学校」を開校。 環境の大切さを訴え、実践していくメッセンジャーを日本全国に育てている。 また、2008年にはネパール・サマ村の子どもたちのために学校を作るプロジェクト「」を立ち上げ、校舎、寮、グランドなどの建設を行っている。 毎年ネパールに行っている野口はヒマラヤ地域の氷河融解に危機感を持ち、温暖化について現場からの声を積極的に訴えている。 また、世界各国の国立公園や観光産業を数多く目にしてきた経験から、日本の国立公園や環境保護や観光振興(エコツーリズム)のあり方について、行政サイドから意見も求められ、環境省や東京都の委員も務めた。 2005年、ヒマラヤの8000m峰に挑戦中に天候が急変し「死」をも覚悟した中で、先の大戦で戦死した方々のご遺骨が収集されずに各地に放置されたままであるという話が頭をよぎり、日本に帰れたらご遺骨収集を決意する。 現在は沖縄での活動を中心に行っている。 環境問題に関わっている野口にとって、日本固有種の動・植物を守ることに深い関心もっている。 そのような中で、我が国固有の領土である尖閣諸島魚釣島にはセンカクモグラやセンカクツツジなどの固有種が確認されているが、いまそれらの存続が危ぶまれている。 2010年に「」を立ち上げ、生物多様性の価値と保全の緊急性を訴える活動をしている。 2015年4月、ネパール滞在中に大地震に遭遇。 エベレスト街道の村々を歩いて調査し、その被害のあまりの大きさに心を痛める。 すぐさまヒマラヤ復興支援を決意、「」を立ち上げた。 全国各地の個人・団体から寄せられた多くの寄付は、仮設住居としてのテントや各家庭への見舞金として野口の手により直接ヒマラヤ地域の人々に届けられたほか、村人の心の拠り所でもあるゴンパ(寺院)の再建も進められている。 2016年4月、熊本地震が発生、多くの家屋が倒壊、破損した。 体育館などの避難所に入れず車中泊を余儀なくされた人々にエコノミークラス症候群の危険も迫る中、野口はテントの支援を決意。 「」を立ち上げる。 全国から寄せられたテントや寝袋、寄付金を元に、岡山県総社市などの自治体や多くのボランティアの協力を得ながら、熊本県益城町にテント村を開設した。 最大時で156世帯、571人が入居という規模の災害時におけるテント村は国内では前例がなく、国交省などからの視察も受けた。 また専門家からも「今後の被災地のモデルケースにすべき」との評価を得た。 このテント村を1ヶ月以上にわたり運営した経験を元に、自治体などに向けて災害時の避難所のあり方についても提言を続けている。 西暦 年齢 学年 出来事 1973 0歳 8月21日 ボストン(アメリカ合衆国)で生まれる。 6ヶ月でジッダ(サウジアラビア)へ引っ越す 1977 4歳 日本に帰国 1978 5歳 東京都世田谷区立池尻幼稚園入園 1980 6歳 小学1年生 東京都世田谷区立駒繋小学校入学 1982 9歳 小学3年生 カイロ(エジプト)へ引っ越す。 エジプト日本人学校に転入 1986 12歳 小学6年生 イギリスへ引っ越す。 全寮制の立教英国学院小等部に転入 両親が離婚。 成績が落ち始める 1989 15歳 高校1年生 立教英国学院高等部仮入学。 先輩を殴り、1ヶ月の停学処分を受ける。 冬休みの富士山での訓練を経て、「八ヶ岳天狗岳」登頂 1990 16歳 高校2年生 夏休みに「」(スイス)登頂 17歳 「」登頂。 7大陸最高峰の登頂を決意 1992 18歳 高校3年生 亜細亜大学国際関係学部入学の一芸一能入試を受け、合格。 日本に帰国する 2月「メラピーク」(ネパール)に登るが悪天候のため断念。 シェルパと交流が始まる 19歳 大学1回生 9月「」(オーストラリア)に登頂 12月「」(南アメリカ)登頂 1993 大学を休学 4月「アイランドピーク」(ネパール)登頂 6月「」 北アメリカ)登頂 1994 21歳 12月「」(南極)登頂 1995 22歳 9月「」(ロシア)で高山病にかかり登頂ならず 1996 1月「」(ロシア)登頂 1997 23歳 5月「エベレスト」(中国)山頂まで1000メートル地点で登頂を断念 1998 25歳 10月「エベレスト」(ネパール)に国際隊で挑むが天候悪化のため登頂を断念 1999 5月「」(ネパール)登頂。 7大陸最高峰登頂の世界最年少記録を樹立(当時) 2000 26歳 3月「」を実施 「」をスタート 大学8回生 亜細亜大学国際関係学部卒業 2001 27歳 3月「」を実施 「」設立し、ヒマラヤ登山で遺児となった子供らの教育資金の提供を開始。 2002 28歳 3月「」を実施 2003 29歳 3月「」を実施 「」をスタート 2006 32歳 「」を実施 2007 33歳 「」に参加。 氷河湖問題を訴える 2008 34歳 「」を設立し、サマ村(ネパール)に学校および宿舎を建立。 「」活動を開始。 フィリピンのセブ島を中心に行われた遺骨調査団に参加 2009 35歳 「」を実施 2010 36歳 「」を設立 2015 41歳 「」を設立 2016 42歳 「」を立ち上げ、熊本県益城町にテント村を開設、運営にあたる。

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野口健はハーフ?実力も気になる!結婚して妻や子供など家族いる?

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世界最高峰の山、エベレスト。 名だたる登山家たちがその頂上を目指しますが、実は驚くくらいのコストがかかることをご存知ですか? エベレストへの1回の登頂にかかる金額は、約1,000万円(PARAFT社員・登山マニア調べ)。 一度で登頂できるかは定かではないため、繰り返し挑戦すればその回数ごとにコストがかさむことになります。 さらに渡航費のほかにも現地のガイドを雇ったり、食糧を確保したりと何かと物入りです。 費用を捻出するための方法を、まずは見つけなくてはなりません。 そもそも登山家は、「山に登る」だけでは基本的には無収入です。 山に登ることによって、どこからか給料が発生することもありません。 では登山家の方々は、どのようにして登山費用を捻出しているのでしょうか。 収入を得る方法としては、執筆活動や講演、メディアへの露出といったところから、スポーツジムの経営やトレーナー、インストラクターなど、会社員としての一面を持つ方々まで、さまざまです。 一方で、危険と隣り合わせであるのが登山家の宿命。 1972年生まれの女性登山家・谷口けいさんは、登山会のアカデミー賞ともいわれるピオレ・ドール賞を女性で初めて受賞したことでも知られる、世界的な登山家。 実力はありながらも、2015年12月に北海道上川郡上川町の大雪山系黒岳の登山中に、山頂付近で用を足そうとして滑落し亡くなられました。 また、エベレストの日本人初登頂を成功させた著名な登山家・植村直巳さんは、厳冬期のマッキンリー単独登頂に成功したものの、下山時に行方不明となり亡くなられた、とされています。 収入や名声のために登山をしているのではなく、挑戦や熱い想いがないと成し遂げられません。 そして、たとえ成し遂げたとしても、山に登る限りは常に危険がつきまとう、ということが伝わってきます。

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登山家の野口健氏 蓮舫氏に「『根拠、根拠』といちいち賑やかしい」「国難の最中において「吐き捨て」が過ぎるようでは目に余る」

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人は皆、自ら選んだ山のゴールを目指すクライマー。 一生のうちにそこへ辿り着けるだろうか。 だが、頂点に到達後、次のゴールを目指し登り始める者がいる。 第1回は 登山家、野口健さん(後編)です。 有名なセリフだ。 25歳で当時の七大陸最高峰登頂の世界最年少記録を達成し、その後も幾多の高峰を制してきた野口さんは45歳となった今、同じ質問に対し、こう答える。 「実はまだ、私には明確な答えは見つかってはいません。 ただ、これだけは言えます。 私にとって山登りという行為は『命を懸けた自己表現』なんです」 99年5月、七大陸最高峰登頂の最年少記録を狙う野口さんは、最後に残ったエベレストを三度目の挑戦で達成した。 もちろん喜びはあったが、同時に、エベレストの頂上から目の当たりにしたある光景に、登山家としての責任と覚悟が生まれたという。 「エベレストのゴミの多さにショックを受けました。 現地のシェルパたちから、日本の登山隊のゴミが特に多いと言われ、とても恥ずかしく、悔しい思いをしました」。 登頂後の記者会見で、「次の目標は何ですか?」と記者から質問されたときの様子を野口さんはこう振り返る。 「私は思わず、『ゴミ清掃をしながらのエベレスト登山です』と答えていたんです。 自然と口から出ていました。 新たな記録を懸けた登山という目標は、まったく浮かんでこなかったですね」 エベレスト清掃登山 写真提供:野口健 この言葉通り、野口さんは99年からエベレストでの清掃登山活動を開始。 世界各国の登山家たちに呼びかけ、4年連続で標高5千~8千メートルでの清掃登山を実施した。 2000年からは、富士山での清掃登山活動も始めた。 「『富士山が変われば日本が変わる』をスローガンに始めましたが、来年でこの活動も20年。 当初は地元の抵抗などもありましたが、理解者や協力者が増え、ゴミは激減し、ようやくゴールが見えてきました。 富士山で始めた取り組みですが、今後は全国の山へも広げていきたい」と語る。 01年には、遭難死したシェルパの遺族の生活を支援する「シェルパ基金」を創設。 08年にはネパールのサマ村の子供たちのために学校を建てるプロジェクト「マナスル基金」を創設し、校舎建設などに取り組んできた。 ヒマラヤにランドセルを届けようプロジェクト 写真提供:野口健 そして昨年からは、ネパールの山岳地帯の子供たちに、日本の小学校を卒業した子供たちのランドセルを贈る活動を始めた。 「ネパールの山岳地帯では何時間もかけて学校へ通う子供たちが大勢います。 背負って荷物が運べる日本のランドセルはそんな子供たちにぴったりなんです」 昨年12月から今年5月まで、1000個のランドセルを届けた。 「エベレスト街道の小学校10校すべての子供たちにランドセルが行き届くように」と、2020年春までに、あと1000個を届けたいという。 長女、絵子さん(15)との5000メートル級登山という挑戦 清掃登山やヒマラヤで暮らす子供やシェルパたちの支援プロジェクトの他、15年、ネパールで登山中、大地震に遭遇した際は、「ヒマラヤ大震災基金」を立ち上げ、復興支援を行い、16年の熊本地震発生の際は、「熊本地震テントプロジェクト」を立ち上げ避難者のためにテント村を作る活動に尽力するなど、登山をベースにした社会奉仕のプロジェクトは多岐に渡る。 次々と新たなプロジェクトを実現してきたが、昨年、これまでとは少し趣の違うプロジェクトが始動した。 ヒマラヤ親子登山 ポカルデ登頂 写真提供:野口健 長女、絵子さん(15)との親子登山だ。 かつて10代だった野口さんが目指したように、今度は親子で世界の高峰に次々と挑む壮大なプロジェクト。 現在、親子でそのための準備を進めている。 「赤ん坊の頃は私が背負って登っていた」という富士山の清掃登山に絵子さんは4歳で参加し、大人と一緒に登っていたという。 小学4年生になると、登山の上級者でも難しい、冬の八ケ岳(山梨、長野県)を一緒に登った。 絵子さんは今春、中学を卒業したが、昨年、高校進学を目前にして、野口さんにこう語ったという。 「お父さん、私はもっと世界を見て、もっと世界を感じたい。 ヒマラヤへ連れて行って」。 昨年12月、野口さんは絵子さんを連れてヒマラヤの5000メートル級の山を登った。 「私が高校3年のときに果たしたヒマラヤデビューを娘は中学3年でかなえた。 本当にうらやましい」と野口さんは笑った。 ヒマラヤ親子登山 カラパタール登頂 写真提供:野口健 ヒマラヤの山を去るとき。 小型飛行機の窓から山の風景を見ていた絵子さんが突然、泣き出したという。 「よほどヒマラヤ登山がつらかったんだな、と私は思ったのですが、まったくその理由は違いました」。 後になって絵子さんから泣いた理由を打ち明けられた。 絵子さんは雄大なヒマラヤ山脈を見ながらこう思ったのだ。 「私の悩みなど、なんて小さく、何と私はちっぽけな存在なんだろう。 そう思うと涙が出てきた」と。 この後、絵子さんは自らの意思でニュージーランドの高校への進学を決めたという。 「娘が通う英国の学校は中高一貫で大学まで進学できるのですが、娘はエスカレーター式に進む道を嫌い、自らの意思であえて厳しい道を選んだのです。 その意思を父として尊重したい」 エベレスト 写真提供:野口健 「もう記録を追うことはない」と言いながらも、清掃登山や基金創設などのために野口さんは山に登り続けている。 そのモチベーションはいったいどこから生まれているのか? そう質問すると、「実は一時期ですが、もう登山をやめようと思ったときがあるんです。 3年前、雪崩に遭い頸椎(けいつい)を損傷したときです。 山に登らなければ、命の危険もなくなり、家族を心配させることもなく安心した人生を送れると思いました。 ところが、登山をやめたとたん、この考えが大間違いであることに気づきました」と野口さんは話し始めた。 「登山をやめたとたん、登山以外の社会貢献の活動などにも、やる気を失い始めていることに気づいたんです。 登山への情熱だけでなく、生きることへの情熱も失いかけている……」。 そう感じたとき、野口さんの足は、登山家を志す原点となったヒマラヤへと向かっていた。 エベレスト 写真提供:野口健 「ケン、次はどこを登るんだい?」 ヒマラヤには野口さんの知り合いが多い。 山を登っていると、人気者の野口さんに、村のみんなが話しかけてくるという。 「やる気を失いかけていた私はヒマラヤでこう気づかされました。 自分はヒマラヤを登ることによって、山を登るためのエネルギーを逆にもらっているんだと。 それは社会奉仕活動など、自分が生きるすべての活動のエネルギーになっているということに。 自分を見失わないために私は山に登っているのかもしれない」 以来、日本でやる気やモチベーションが落ちると、必ずヒマラヤへ向かうという。 10代の頃に燃やした登山家としての覚悟、情熱を取り戻すために。 「私の目指す新たな頂? エベレスト清掃登山や富士山清掃登山、ランドセルプロジェクト……。 振り返ると、すべて登山の活動から自然に生まれたプロジェクトなんですよ」と語り、少し考えた後、こう続けた。 「33歳で人類初のエベレスト登頂に成功したエドモンド・ヒラリーはその後、『ヒマラヤ基金』を創設し、ヒマラヤに学校を建てたり、シェルパの生活水準を上げたりする活動に人生を捧げた。 亡くなる88歳近くまでヒマラヤへ登り続けた彼の生き方は私の一つの理想の姿です」 生涯冒険に情熱を注いだ植村直己と、シェルパの生活や地位向上のために尽くしたヒラリー。 二人の生き方が野口さんの「新たな頂」の指針になっている。 ヒラリーの精神を受け継いだ活動の一つが、ランドセルプロジェクトといえるだろうか。 これは来年完結の目途がついた。 そして絵子さんとともに目指すもう一つの新たな頂。 親子登山は、植村の冒険家精神を継承するプロジェクトといえるだろうか。 ヒラリーと植村、2人が目指した頂を道標(みちしるべ)にして、野口さんは娘、絵子さんとともにその頂に向かって歩み始めている。 次回はF-1を目指す女性レーサーです。

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