ラジオ 周波数 am。 ラジオのAMとFMの意味と周波数帯の違いは?音質はどっちがいい?

AM変調とFM変調とは?どんな仕組みや原理なのか?

ラジオ 周波数 am

ラジオはで音声を送受信する技術= を用いたメディアである。 無線電信の英語表記である radiotelegraphyの短縮語を語源とする。 日本語の音写では レディオ、 レイディオと呼称・表記される場合もあるほか、古くは ラヂオとも表記した。 一般的に「ラジオ」の語は、「」「ラジオ受信機(収音機)」の略称として使われている。 会話や音楽などの音声信号を、を使って送受信する。 があるが、最も歴史の長いのはによるで、基本的な方式は100年間も変わらず、現在でもラジオ放送の主流である。 この方式および受信機は一般に「AM放送」「AMラジオ」と呼ばれる。 またによるも広く普及しており、「FM放送」「FMラジオ」と呼ばれる。 本項目でも特筆しない限り、この呼び方を用いる。 ラジオ放送の種類 [ ] 変調• - を用いて、で放送されている。 - を用いて、で放送されている。 振幅変調に比べ占有周波数帯幅が10倍必要なので超短波未満での運用はきわめて困難である。 - 振幅変調を用いて、で放送されている。 - 振幅変調を用いて、で放送されている。 - や地上デジタル放送ではのみでなく、ラジオ放送にも用いられる。 アナログ音声放送• (独立音声放送)• 衛星デジタル音声放送• CSデジタル音声放送• - などでは本放送が開始された。 日本でもに・でを開始したが3月末廃止。 以上を用いる放送は、電波の性質上不適当であるために過去に実施されていたものも含めてどの国でも行われていない。 ラジオ受信機の種類 [ ] 詳細はも併せて参照。 回路方式による分類 [ ] 回路方式により、以下の種類に分類できる。 受信したものをせず、や等で直接検波し、クリスタル・イヤホン等で聴取する。 ストレート 受信した周波数のまま増幅・を行う。 戦前はほとんどこのタイプ。 戦後は回路を理解するための工作で製作する程度の利用のみ。 正帰還を用いたも広く用いられた。 ラジオと復調後の音声の周波数帯域が異なるのを利用し、検波前の高周波増幅と検波後の音声増幅を一つの増幅素子で兼ねる方式。 増幅素子にはや等を用いる。 昔は高価だった増幅素子を節約するために考案された。 原理的にはストレート、共にレフレックス方式とする事が可能ではある。 受信した周波数を一定の周波数()に変換した上で増幅・復調を行う。 戦中は規制されており、戦後に主流となる。 受信した周波数に近い高周波を発生させ、直接、音声信号を取り出す。 近年、技術革新により安定して高周波を作り出すことが容易となり、中間周波数に変換する部品が省け小型化できるメリットから携帯電話などに盛んに用いられるようになった。 (DSP) 受信した周波数を一定の周波数(中間周波数)に変換し増幅・復調をデジタル信号処理して再びアナログ信号に変換してから音声信号を取り出す。 近年、などに用いられている。 チューニング方式による分類 [ ] チューニング(tuning、同調、選局)方式による分類は以下の通りである。 大まかに振られた目盛りを頼りに(「コリンズ」のように精密なものもあるが)選局する。 昔からあるタイプ。 デジタル表示式アナログ 同調回路はアナログと同様であるが、デジタル表示の周波数カウンタが内蔵されたもの。 デジタルのように周波数を数字で確認しながらの直感的な選局が可能だが、テンキーやメモリによる選局は出来ない。 また、中間周波の周波数をカウントし定数を足して(または引いて)受信周波数として表示するものであるから、調整がズレていると正確ではない。 PLLが安価になる以前に、高級機やBCLラジオなどで採用が見られたが、次に述べるデジタル式の普及により1980年代末期にはほとんど見られなくなった。 しかしPLLは消費電力が多くコスト高になるため、この方式を選択した商品が近年に入り再度見られるようになってきている。 から発売された中国製マルチオーディオプレイヤーの複数の機種 Bearmax, とうしょう, etc. は、これで表示されている。 デジタル() 基準周波数を元に、一定ステップの周波数を合成して同調回路を構成するもの。 高級機や、近年は薄型機にも多く使われる。 民生機では後半頃から登場している。 形態による分類 [ ] 厳密な線引きは必ずしもないが、形態によりおおよそ以下に分類できる。 大型 部屋などに置いて使う大型のもの。 時代は殆どこれに属する。 通信型(通信用) 送信機と組にする無線設備としての性能を重視したもので、外観としてはチューニング・ダイヤルが大きく操作しやすい、読みとりやすい周波数目盛りがあるかデジタル表示になっている、感度や選択度を可変できるつまみ類が付いている、電波型式を切り替えるスイッチがある、外部アンテナ端子があるなどの特徴がある。 ただし必ずしもこれらすべてを満たしているとは限らず、また機能が豊富なものではよりたくさんのつまみ、スイッチ、接続端子を備えているものもある。 一般に「レシーバー」とも呼ばれ、ラジオ放送帯域外にも対応する事が多いが、出力音質は重視されない事が多い。 コンポーネントオーディオとして製品化されたチューナーの一例。 AM放送とFM放送に対応している。 周波数を選択するためのダイヤルや、信号強度、同調の具合を示す計器などが付属している(SANSUI製 TU-307)。 チューナー コンポーネントオーディオのコンポーネントのひとつ。 ラジオの受信機能のみ。 を通してを鳴らす。 ポータブル カセット - の箱位の大きさ。 で動作可能。 真空管時代にも電池管という電池で動作するミニチュア管やサブミニチュア管を使い、数十ボルト程度の積層乾電池を用いたものがあったが、消費電力の少ないの登場により電池管ラジオは急速に衰退し、代わってトランジスタラジオが急速に普及していった。 薄型 の胸に入る程度のもの。 スピーカーを内蔵していない専用のものもある。 受信周波数による分類 [ ] 1バンド 多くは中波(530〜1605kHz)AMのみ、またはFMのみの製品で、安価なラジオやライトバン・トラックなどののカーラジオに多い。 その他、ラジオNIKKEI受信専用のも市販されている(受信周波数が固定されておりスイッチ切り替えだけで済む代わり、周辺の局を聴くことは出来ない)。 数は少ないが、製造は続いている。 近年はに実装されたFM放送受信音声出力機能を使用可能にした機(特に)がある。 チューニングの機器は76MHz〜108MHzまで受信できるものが主流(アナログ終了後の以降はアナログチューニング式でも90MHzまでのラジオが増えてきたが頃からが整備されることにより108MHzまで(メーカーによってはFM補完中継局の当初の割り当てである95MHzまでとなっているものもある)受信できるものがまた出始めている)。 FMステレオが受信できるものや、わずかではあるがFM・AMともにステレオで受信できるものがある。 デジタルチューニングのうち、一部の携帯ラジオやラジカセなど90. 0MHz以降が「(TV)1ch〜3ch」のようにチャンネル(音声周波数)が決まっているものは海外では受信できない。 9MHz〜12MHz)が多かった。 9MHz〜12MHzが主であるが、メーカーによっては向け短波ラジオとして、それよりも上の22MHz、あるいは30MHzまでの後述「4バンド以上」に準じたものもある)が、現在OEMの形態で市販されている。 短波を搭載した3バンドラジカセ、という商品もかつてはあったが、現在では希少な存在になっている。 現在のではほか。 このため4バンドラジカセは絶滅した。 他のメーカーで5バンド以上を謳う社は存在するが、短波を周波数帯で細かく割っている だけである。 日本メーカーの5バンドはELPAの発売機種のみ入手できる。 基本的に無線電波通信広帯域受信機で、ラジオ放送・TV放送以外の業務用無線電波通信などの受信再生に対応し、受信可能電波帯域が広いだけでなく、多様な変調方式にも対応する事を目指している。 前述の「ゼネラルカバレッジ」の概念を更に押し広げた物である。 バンド数というより、対応広帯域バンドの一部が技術的理由で途切れているか、法的にマスクされていると理解すべき。 歴史 [ ] 無線電話の始まり [ ] 1900年、歪みはひどいものの、世界で初めて電波 に音声を乗せることに成功したのは、元の会社の技師で、生まれの電気技術者だった。 無線電話の始まりである。 彼は引き続き、ヘテロダイン検波方式や、電動式の高周波発振器を開発して改良に取り組み、1906年12月24日に、米国の自己の無線局から、自らのの挨拶を無線電話で送信した。 この実験はあらかじめ無線電信によって予告されたもので「世界初のラジオ放送」だっただけでなく「最初の特別番組」でもある。 ラジオ放送の始まり [ ] しかしが1905年11月より一般人向けて通信販売を始めた大衆無線機「」の受信機は電波から音声をできない によるものである。 またが電波に乗せた音声を復調する鉱石の検波作用を発見しその特許を得たのは遅く、1906年になってである。 1906年当時のアマチュア無線家らはまだコヒーラ検波器を使っており 、彼らの受信機がへ切替わったのは1910年頃だった。 こういった時代背景を勘案すると、フェッセンデンの実験は広く聴取者に向けて送信される「ラジオ放送」というよりも、限定された技術者・通信士を対象とした「無線電話」の実験に属するとも考えられる。 一般人で無線の受信機を所有していたのはアマチュア無線家達だけである。 アマチュア無線は第一次世界大戦の勃発で禁止されていたが、その終戦で1919年4月12日より、まず受信活動が解禁された。 戦後は一般アマチュアでも真空管が入手できるようになり、鉱石式受信機から真空管式受信機への置き換えが急速に進んでいた。 1920年1月17日、にあるから、海軍省がをはじめた。 これをもって国営放送の嚆矢とするが 、そのリスナー層は自分で受信機を組立てたアマチュア無線家だった。 なお1923年1月3日、アナコスティア海軍航空局 NOFは本来の航空無線の研究に専念することとなり、娯楽放送を終了している。 また一部のアマチュア無線家は無線電話を実験するようになり、無線電話で「放送したい」アマチュア無線家と、モールス電信で「交信したい」アマチュア無線家の混信問題がはじまったのもこの頃である。 民間企業による商業放送として世界で最初に許可されたものは、が1920年11月2日にアメリカ・で放送を開始したである。 その送信機は同社の技術者が設計し、開局初日の番組はの開票情報で、候補の当選を伝えた。 選択度(分離性能)が良くない受信機で起きる、商業放送(周波数833kHz)とアマチュア無線家の放送(周波数1,500 kHz)の混信問題もくすぶっていたが、1922年と1923年の法改正でアマチュア無線のオペレーター資格では放送できない事になり、多くのアマチュア無線家が商業放送局のオーナーや技術者として転向したため、問題はやや軽減した。 さらに1923年6月28日の規則改正 では、アマチュア無線家は短波を申請する権利を失ったかわりに、1,500-2,000kHzの帯域免許を獲得した。 同時に毎夜20時00分から22時30分と、日曜午前の礼拝タイム を送信禁止として、ラジオ放送とアマチュア無線の混信問題は一応の解決をみた。 短波ラジオ放送 [ ] 極長距離を伝送できるを最初に行ったのはので、1927年11月から海外向けに放送を開始。 翌には当時オランダ領だった・での受信に成功する。 この実績に追随して、、、、等が1929-1932年にかけて向け放送や海外宣伝放送を短波で開始している。 FMラジオ [ ] 周波数変調方式(FM方式)も、レジナルド・フェッセンデンによって1902年に考案されている。 しかし、実用的なFMラジオは1933年12月26日にアメリカのが特許を取得した技術による。 アームストロングは世界初のFMラジオ局W2XMNを1937年に開局させ放送を開始した。 デジタル化 [ ] に入って、先進国で地上放送が開始され、またアメリカののような衛星デジタルラジオサービスも開始されている。 アメリカのラジオ放送 [ ] 3大ネットワークの誕生 [ ] アメリカではにの子会社としてが設立され2波(NBC red network及びNBC blue network)の放送を開始した。 また、にがラジオ放送をスタートさせた。 にはNBC red networkとNBC blue networkが分割され、にRCAはNBC blue networkを売却。 NBC blue networkは社名をThe Blue Networkとし、ネットワーク名をとした。 FMラジオの規格化と普及 [ ] アメリカではに(FCC)がFMのステレオ技術を規格化して数百のFM局が開局した。 この規格ではとの共同に基づくが標準ステレオ方式として採用された。 には連邦通信委員会(FCC)がFMの放送内容をAMと分離することを決定し、FM放送の視聴者が増えるきっかけとなった。 日本のラジオ放送 [ ] 歴史 [ ] 国民のラジオ熱(免許制以前) [ ] 日本のアマチュア無線家は1920年代初期から自作の無線機で個人間の無線交信を行っており、1922年にはラジオ受信機の製作に関する『ラヂオ』が創刊されている。 その後、現在はオーディオ雑誌に変わっているが刊の『』などが数多く発売され、またによる独自のラジオ中継が行われたりした。 には、による皇太子裕仁親王()御成婚奉祝式典やによる開票の中継をはじめ、数多くの実験的要素の強い中継が行われている。 12月、逓信省はを制定。 翌年、当面、、の3地域で、として各1事業者ずつ、ラジオ放送事業を許可する方針を打ち出した。 日本初のラジオ放送 [ ] アーアー、聞こえますか。 ……JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります。 こんにち只今より放送を開始致します だった。 波長は375m(周波数800kHz)、(出力)約220だった。 当時の受信機の性能に比して出力が弱かったため、内でないとよく聴こえなかった。 元々はに放送を開始する予定だったが、購入する予定だった、当時日本に1台しかない(WE)社製の放送用が、前年12月に同じく設立準備中の社団法人大阪放送局(JOBK:現在の、略称:BK)に買い取られてしまった。 そこで東京放送局は、東京市電気局電気研究所が放送実施のために購入した社製の無線電信電話機を借り放送用に改造して使用することにしたが、のの検査で「放送設備が未完成のため3月1日の放送開始は時期尚早」と判断された。 既に3月1日から放送を開始すると発表しており、また、大阪放送局よりも先に日本初のラジオ放送を行いたいということで、「試験送信」の名義で逓信省の許可を受け、何とか3月1日から放送を開始することができた。 3週間のの後、逓信省の検査に合格し、3月22日に仮放送(仮施設からの正式な放送という意味)を開始し、に(現在の)のからの本放送が開始された。 これには改めて購入した出力1kWのWE社製送信機を使用した。 大阪放送局はその年のから仮放送を出力500Wで開始した。 さらに、社団法人名古屋放送局(JOCK:現在の、略称:CK)も同年に、出力1kWの社製送信機を使用して放送を開始した。 1945年まで [ ] 1920年代末のラジオ放送収録風景。 右は(中央)らの映画俳優たちによるラジオドラマ、左は演奏中のたち。 社団法人東京・大阪・名古屋放送局は翌年のに「社団法人日本放送協会」として統合された。 これは実質的には政府機関的な性格を持っていた。 「全国鉱石化」(日本全国のどこでも鉱石受信機によるラジオ聴取を可能とするインフラの整備)を目標 に日本各地にを開設したほか、当時日本領だった()や()にも置局した。 さらに、には、にはが設立され、日本放送協会の番組を多く中継した。 8月、ラジオで全国中等学校優勝野球大会が中継された(初のスポーツ中継)。 11月にはの即位の礼が全国中継された(初の本格的な全国ネット放送)。 また、1930年2月にはロンドン軍縮会議の中継が行われた(初の国際中継)。 受信機としては、や大容量によって作動するを使ったものが登場し、鉱石式のに代わって、で大きな音量の放送が聞けるようになる。 ラジオ受信機自体は国内メーカーによって生産が可能となっており、アマチュアによる受信機自作も当時から趣味の一ジャンルとして広まり始めていた。 聴取世帯数は2月には100万、2月には200万、1月には400万を突破。 ラジオ受信機の普及が進み、音楽、演芸、スポーツ中継、ラジオドラマなどの多彩なプログラムが提供されるようになったことでの主役となったが、の()開戦とその後の戦局の進行と共にを行なうための機関と化し的な番組が増えた。 この傾向は終戦まで続いた。 聴取世帯数は1940年代にも増加し続け、5月には500万、8月には600万、3月には700万を突破した。 しかし、1945年4月になると放送時間は大幅に減少し、1945年5月には名古屋中央放送局が空襲により焼失した。 に終戦ノ詔勅(いわゆる)が放送され、戦後は海外領土を失う。 「社団法人日本放送協会」は(GHQ)の管理・監督下に置かれが行われた。 とを中心とした(及びは日本に進駐していない)、いわゆる進駐軍向け放送局が主要都市に置かれた。 アメリカ軍向けは後にFEN、現在のの前身である。 一部の局については日本放送協会から施設や役務の提供が行われた。 1945年 - 1959年 [ ] 1955年頃のラジオ受信機、5球スーパー式。 FM放送が始まる前の機種なのでバンドは中波と短波のみ 戦後、ラジオ受信世帯数は減少しており1946年7月には538万であった。 に「社団法人日本放送協会」がとしての「 日本放送協会」に改組され、翌には朝に(現・)、同日昼に新日本放送(現・〔〕)が開始された。 東京では、民間放送の申請を目指す会社が乱立。 新聞社系の放送会社の一本化が行われたこともあり、同年になって(現・)に開始された。 にはテレビ放送も開始されたが、白米10kg680円、の入浴料15円程度だった時代にの価格は20 - 30万円程度と高価で一般には買えず、ラジオが一家の主役であり続けた。 民間放送開始以前にはラジオ受信機の所持には政府の許可が必要であり、聴取料を納める必要があったが、無料で聴ける放送の開始によってラジオへの関心が高まり、『初歩のラジオ』『模型とラジオ』など少年向けのラジオ製作雑誌が相次いで創刊された。 当時はが高価で、メーカー製完成品を購入するよりはなどから真空管などの部品を買い集めて自作したほうが安かったために、受信機を製作する人が多かった。 彼らは「少年技師(後のラジオ少年)」とも呼ばれ、の日本の産業の発展の基礎を作る要因の一つともなった。 には東京通信工業が日本初のトランジスタラジオを発売。 1958年11月にはラジオ受信契約数が1481万件を越えピークとなった。 しかし、当時の皇太子・がに正田美智子と結婚しのテレビ中継が行なわれたのをきっかけに、テレビ受像機が普及し始め、ラジオは斜陽化の時代を迎える。 超短波を使用したFMラジオ放送については、12月にNHK-FMが東京で試験放送を開始し、翌12月にはにより、放送教育を目的とした「東海大学超短波放送実験局」が放送を開始した。 には日本最初の民放FM局 であるとなり、には同局を引き継ぐ形でが開局している。 1960年 - 1974年 [ ] この頃、部品のの普及が進み、これを使ったの商品化や、さらににより、が普及するなど、ラジオは一家に一台から一人に一台というパーソナル化の方向へ向かう。 ラジオ放送は家族をターゲットにした編成から、個人をターゲットにした編成へと転換していく。 情報トーク番組や音楽番組が増えた他、ターゲットを絞ったも盛んになった。 1950年代後半から試験放送を続けていたFMラジオ放送は、にの本放送が開始され、同年にはが開局している。 1970年から71年にかけては、、、そして東海大学から一企業に運営が引き継がれたFM東京の3局が相次いで開局した。 いずれも音楽を中心とした編成で、高音質のステレオ放送により、に次ぐ音源として人気を集めることになる。 同時期に登場したの普及によって、放送される楽曲をテープやで録音する「」も流行し、エアチェックを目的として放送される楽曲が載ったも創刊された。 しかし、民放局を中心に「楽曲そのものを楽しむ」から「トークの合間に楽曲が流れる」など番組スタイルの変化などから、次第にエアチェックという言葉自体が廃れていくようになる。 1975年 - 1989年 [ ] 代表的なBCLラジオ ソニー スカイセンサー5900 後半に、やをきっかけとして海外の国際放送を受信するブームが中学生・高校生を中心に起こった。 この時期には、日本向けの充実を図る放送局も多く、時事ニュースに留まらずその国の文化などの理解を深めるうえで一定の役割を果たした。 また、受信報告書を送ると受け取れるの収集も盛んに行われた。 さらに、送信方向が日本向けではないなど、一般的には受信困難な放送を工夫を重ねて受信しようとするマニアも増えた。 これに応じ、受信周波数帯域の広いラジオ受信機、いわゆるBCLラジオが各社より発売され、戦後2回目の黄金期だった。 しかし、日本からの海外旅行の一般化やを遠因とする国際放送の縮小などで、BCLブームも終わりを遂げ、2006年現在、BCLラジオもソニー以外は撤退した(そもそも一般のラジオ受信機自体、ソニーとに整理されている)。 通称:9キロヘルツセパレーション)が行われた。 のをはじめに全国に民放FM放送局が相次いで開局する。 には東京で2番目となるエフエムジャパン(現:)が開局、大都市圏では複数の民放FM局が開設されるようになり、対象の多様化が進んだ。 1990年 - 1999年 [ ] にはが制度化され、都道府県単位よりもかなり狭い地域を対象としたラジオ放送が行われるようになった。 1992年にはAMステレオ放送が開始した。 にはFM文字多重放送もスタートする。 のでは、災害時における情報伝達メディアとしてのラジオの重要性がクローズアップされる結果となった。 以降、各局とも災害への対応を重点に置くようになり、また大都市圏にはも開局する。 2000年 - 2009年 [ ] iPodにおけるラジオ受信装置(左のリモコン) 既存のラジオ放送に加え、インターネットによる音声のみの配信であるの登場、さらに衛星や地上も加わり、従来のアナログラジオ放送とともに、ラジオの多様化が進んでいる。 一方、メディアの多様化が起因となりの動きが顕著化してきており、それに伴い広告費も減少し続けていることから、ラジオ局は厳しい運営状況を強いられている(詳細はを参照)。 AMステレオ放送を実施していた放送局も会社の合理化に加え、送信機更新の際に必要な装置が2000年半ばまでに生産中止になったのに伴い、AMステレオ放送を終了して元のモノラル放送に戻す放送事業者も後半にで出てきた。 2010年以降 [ ] 2010年、AMステレオ放送を終了してAMモノラル放送へ移行する局が相次いだ。 とが()、が深夜(未明)、が深夜(未明)の放送をもってAMステレオ放送を終了した。 終了の理由としてステレオ放送対応のための機材の生産が終了していてメンテナンスの保証がなくなった事があげられている。 2011年深夜(未明)にはも終了し、今後も縮小傾向が続く様相である。 2010年3月14日深夜(3月15日未明)より、地上波のラジオ放送と同内容をインターネットを利用してサイマル配信するIPサイマルラジオ「」の実証実験が開始された(同年12月1日より本格的に開始)。 またこれとは別に、では、独自で2010年にCATVサイマル放送を、同年から2011年3月31日までIPラジオ実験放送をした。 radikoは当初、本来の放送エリア内での無料配信のみとしていたが 、からは放送エリア外からも有料で聴取が可能になるエリアフリーサービス「radikoプレミアム」がスタートした。 また、AM放送については「都市型難聴対策」・「外国波混信対策」・「地理的・地形的難聴対策」・「災害対策」の観点から、2012年までに終了したの周波数帯の一部を利用してが行われることになり、2014年の・南海放送を皮切りに、翌2015年に名古屋・東京・広島・長崎・鹿児島など、2016年には大阪・福岡など全国各地でスタートしている。 これらの放送は一般的に「ワイドFM」と呼ばれる。 2019年11月に発生した新型コロナウイルスへの感染対策として収録時におけるアクリル板設置やリモート出演などの措置をとる所もみられた。 ステレオ放送 [ ] 複数の放送波によるステレオ放送(立体放送) [ ] 二波利用のステレオ受信機 、・や民放各社などが、2つの放送波を使ったステレオ放送(当時は 立体放送と呼ばれた)を行った。 NHKの例でいえば第1放送が左側の音声、第2放送は右側の音声をそれぞれ放送し、2つのラジオを並べて置いたり、2台分のチューナーを搭載したを使ってステレオ音声を受信するものだった。 テレビ放送が開始されると、ラジオとテレビを併用した立体放送も実施された。 この方式では「モノラル放送との互換性がとれず、受信機を2台用意しないと片方のチャンネルしか聞くことができない」「左右の受信機に位相特性、周波数特性、レベル等の特性差があると、正しいステレオイメージが得られない」「NHKを除き、2局が協力しないと実現できない」などの問題が多かった。 以降、で、これらの問題点を解決したステレオ放送が行われるようになったことで、2つの放送波による立体放送は終了した。 沿革 [ ]• - - 第1回にちなみ、NHK東京第1・第2放送の放送終了後の0:35 - 1:00に立体放送の試験放送を実施。 録音・再生機には製の(ステレオ録音用の試作機)を使用した。 - NHK東京第1・第2放送、『土曜コンサート』の枠内で最初の立体放送の本放送実施。 - ・北海道、共同で日米交歓音楽会の立体放送実施。 - NHKラジオ第1・第2放送、第2回の立体放送の本放送を全国中継で実施(『土曜コンサート』)。 - NHKラジオ第1・第2放送、明治座新派劇『息子の青春』をステレオ録音にて放送。 - NHKラジオ第1・第2放送、初の立体『死んだ鶏』を放送。 - NHKラジオ第1・第2放送、世界初の立体放送による定時番組『』放送開始(当番組の2波ステレオでの放送はまで。 その後は当時同時に放送していたのみでの放送に変更。 同番組終了は)。 - 第3回オーディオ・フェアにちなみ、・・による三元立体放送実施(ドラマ『われを呼ぶわれの唄』など3番組を連続放送)。 - NHK東京、『立体音楽堂』の時間にラジオ第1・第2・を使っての三元立体放送を実施(俳優座劇場中継 メノッティ作曲、歌劇『アマールと夜の訪問者』)。 - 北海道放送、ラジオ・テレビにより立体放送の実験実施。 9月 - 文化放送・ニッポン放送、共同で立体放送実施。 翌年からは立体放送による帯番組として『・イブニング・ステレオ』放送開始。 11月 - (現・)、ラジオ・テレビにより立体放送実施。 ・、共同で立体放送実施。 - ・、共同で立体放送による定時番組『』放送開始。 、ラジオ・テレビにより立体放送実施。 - NHK東京、『立体音楽堂』の時間にラジオ第1・第2・を使って三元立体放送実施(第2回NHKイタリア歌劇公演より作曲・歌劇『』ハイライト)。 - ・、ラジオ・テレビによりステラマ(ステレオ・ドラマの略)『コルトを持つ男』を放送。 - 中部日本放送(現・CBCラジオ)・、共同で立体放送開始。 - がKSAR(日本語)とKSBK(英語)の2波を使って立体放送開始。 - 前年にによるステレオ放送が全都道府県で聴けるようになったことを機に、NHKラジオ第1・第2放送はこの日に放送された『夜のステレオ』の最終回を最後に中波2波によるステレオ放送を終了する。 FMステレオ放送 [ ] 日本ではから当時のによってこの方式による試験放送が開始される。 日本においてステレオ放送が開始された当初は、のステレオが整備されていなかったため、ステレオでの生放送は東京近辺のごく限られた地域でしか聴取できなかった。 ステレオ収録された番組を放送する場合、NHKでは各(、、、、、、、、)にパッケージテープを送り、各地方局ではテープを流している基幹局の電波を再生する「放送波中継」方式がとられていた。 また、をはじめとする民放でもパッケージテープを再生する方式がとられた。 その後、からFM放送用のPCMステレオ回線が整備され、パッケージテープの送付が廃止される。 には全国のNHK及び民放FM局に、PCMステレオ回線設備が導入され、全国でステレオ音声での生放送が聴取できるようになっている。 沿革 [ ]• 1960年8月 - FM東海が、米クロスビー研究所が開発したFM-FM方式によるステレオ実験放送を開始(1961年にAM-FM方式が標準ステレオ方式になるまで実施)。 - FM東海が、日本初のAM-FM方式によるステレオ実験放送を開始。 - NHK東京FM放送局が、AM-FM方式によるステレオ放送を開始。 - NHK-FMが全国に放送局を相次いで開局させ(この時に同時にステレオ放送を開始した局も多い)、遂にFMステレオ放送が全都道府県で聴けるようになる。 3月1日 - 全国のNHK-FMの本放送開始。 12月 - 全国のNHK-FMのローカル放送ステレオ化工事完了。 NHK-FMのローカル番組が全局でステレオで放送できるようになる。 これに伴い、のFM放送でもローカル番組のみステレオで聴けるようになる(全国放送はモノラル放送のまま)。 - NHKのFM放送用PCMステレオ回線が東京-名古屋-大阪間で開通し、運用を開始する。 - 全国のNHK-FMの基幹局全てにFM放送用PCMステレオ回線が開通し、運用を開始する。 これに伴い、ステレオ放送開始当初から行っていた各基幹局へのパッケージテープの送付が廃止される。 - FM民放4局間( - - - )にFM放送用PCMステレオ回線が開通、運用開始。 - NHK沖縄にFM放送用PCMステレオ回線が開通し、同県及び鹿児島県の奄美大島地域がようやく全国放送のFM番組がステレオでの放送が可能になった。 頃 [ ] - 全てのNHK放送局に、FM放送用PCMステレオ回線が導入される。 頃 [ ] - 全てのNHK放送局でこれまで使用していたFM放送用PCMステレオ回線から、AM(ラジオ第1・第2)・FMラジオ共用の光デジタル回線に切換。 AMステレオ放送 [ ] 詳細は「」および「」を参照 ラジオメディアの特性 [ ] テレビとの違い [ ] 室外アンテナが主流のテレビと異なり、受信機に備え付けのアンテナを使った室内での受信が普通なので、受信環境がチャンネル選択に影響を及ぼす。 放送区域内だからといって必ずしも全ての局が安定して受信できる訳ではない。 そのため、そういった環境下では、チューニングしやすい局がよく聴かれる傾向にある。 受信環境は別売りの外部アンテナを使用したり、FMの場合はVHFアンテナを使用し改善できる場合もある(電界強度の弱い地域ではVHFアンテナを使用しても改善できない場合がある。 この場合はFM帯域に対応した外部アンテナが必要となる)。 ただし、VHFアンテナはアナログテレビ放送の終了にともない、2010年に大手メーカー各社が相次いで生産打ち切りを発表した。 仕事や作業をしながらでも番組を楽しむことができるため、職場やカーラジオなどで聴取されることも多い。 首都圏では10:00 - 11:00にテレビの視聴率よりもラジオの聴取率が高くなる。 地域・放送内容・機器などの影響により、長時間にわたり1つの局を聴取する傾向のリスナーもいる。 番組ごとのスタッフ数は、テレビと比較して少ない。 短波による国際放送の場合、同じ内容の放送を同時に複数の周波数で放送し、聴取者が最も受信状態の良好な電波を選んで受信できるようにしているのが一般的である。 また、ラジオ機器と・録音可能な機器などの機材を組み合わせて予約録音を行うことも可能であり、録音機器としてや以外にもテープ部分が機械式のラジカセ・ビデオデッキ・DVDレコーダー・HDDレコーダー・パソコン(適切なソフトが必要)が活用できる場合もある。 テレビがデジタル放送を開始しているのに対して、衛星放送を除きラジオのデジタル化はまだ実験段階である。 これは正式な周波数割当てが行われていない事、に関する技術策定が遅れている事、一般向けの受信機が携帯電話やテレビチューナーに限られ殆ど発売されていないなど複合的な要因がある。 災害耐性 [ ] 送信システムは比較的簡単な構造で、仮に地震などで放送局が破壊されても、肩に担げる程度の大きさの小型送信機から放送することも可能。 これを活かし、大規模災害の発生時にはが開設されることがあり、以降、この開局が盛んとなっている。 一部のラジオ放送局ではこの特長を利用し、自分以外の局員が全員操作できない状態になっても、1人いれば、全てを遠隔操作して放送が続けられるようになっている。 ラジオをテーマにした作品 [ ]• (1978年)• ()(1987年)• (1987年)• (1991年)• (1997年)後述の演劇の映画化• (1998年)『F 落第生』を元にした映画 民放ラジオ95社企画制作• (2009年)• ()(2009年)• (2017年)• (1993年初演)• テレビドラマ• (1987年)• (2009年)• (2013年)• ()(2001年)• ()(1979年)• ()(1979年)• ()(2007年〜2010年)• ()(2014年〜)• ()(1975年)タイトルはラジオとを掛けたもの。 ラジオ()(1977年)• ()(1979年)初期のMTVでヘビーローテーションで流れていた。 ()(1980年)• 、ラジオ・デイズ()(1981年)• ラヂオ()(1981年)• ()(1984年)メンバーのがラジオに対する愛着を詞にした曲• Radio Magic()(1984年)• ()(1990年)• ()(1991年)• ()(1994年)• ()(2000年)パーソナリティーとリスナーの投稿をテーマにした作品• ()(2008年)• (の遺作)(2009年)• ラジオ()(2011年) フォネティックコード [ ] で、「」を送る際に「ラジオのラ」と発声する。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 電波法上の「ラジオ」の正式名称。 戦前は多く用いられた。 日本放送協会編『放送五十年史 資料編』(、1977年3月10日発行)p. 686によれば、1941年(昭和16年)4月1日、文部省の用語・用字統一方針に従い、NHKでは「ラヂオ」を「ラジオ」、「スタヂオ」を「スタジオ」表記に改定した、としている。 発行の『ラヂオ年鑑』は、 以前は『ラヂオ年鑑』表記であったが、 からは『ラジオ年鑑』表記に改められている。 『朝日新聞』では1941年4月1日夕刊2面に「ラヂオはラジオに 国民学校教科書も国語音へ」という見出しの記事が掲載されて以降「ラジオ」という表記が増えたという(『朝日新聞』2015年2月5日朝刊、10面)。 当時は火花放電による電波。 コヒーラは電波の有無を検出するだけで音声を取り出せない。 1912年12月に施行された無線通信取締法(Radio Act of 1912)により、無線をするにはオペレーター資格試験と無線局の免許状が必要となり、1905年から1911年頃まで米国で発売されてた大衆無線機テリムコは、無資格・無免許では使えなくなった。 アマチュア無線の送信解禁は同年10月1日。 アマチュア無線家は1,500kHz以上の任意の周波数を申請し、許可を受けることができた。 許可される最下限1,500kHzに人気が集中し大変混雑していたところへ、無線電話も参入したため1,500kHzは大混信となった。 日曜午前は教会に出向けないリスナーのために、KDKAなど多くの局が教会から生中継し、人気番組となっていた。 この思想は現在もの第15条に残っている。 ただし、FM東海は当時実用化試験局として運用されており、民間企業によるFM放送は1969年開局の愛知音楽エフエム放送(現:)が最初となる。 但し、大都市圏の一部の県域ラジオ局では当初から近隣のエリア外でも無料配信を実施している。 出典 [ ]• 『』「放送無線電話」• 『広辞苑』「ラジオ」• www. ando-catalogue. com. 2019年1月24日閲覧。 www. tecsunradios. com. 2019年3月13日閲覧。 swl. net. 2019年3月13日閲覧。 radiwow. com. 2019年3月13日閲覧。 www. elpa. jp 2019年3月11日. 2019年3月12日閲覧。 Thomas Matthew "Home-Made Coherers" Wireless Telegraphy For Amateurs and Students 1906 Thomas M. JOHN pp125-136• O'donnell "The Amateur's Workshop:An Experimental Wireless Telegraph Outfit" Electrician and Mechanic Aug. 1907 Sampson Publishing Co. pp41-42• Laughter "Wireless Telegraphy Made Simple - Part 1: Construction of a Simple Wireless Telegraph Set" Popular Electricity May 1908 Popular Electricity Publishing Co. pp32-36• James D. Thomas "A Silicon Detector" Modern Electrics Dec. 1909 Modern Electrics Publication pp426-427• 栄谷平八郎 『ラジオ発展史』 1947 通信教育振興会 p48• Winters The Passing of "NOF" As a Broadcasting Station Radio News Mar. 1923 p1623• "Regulations Governing General and Restricted Amateur Radio Stations and Amateur Operators" Radio Service Bulletin(No. 75) July. 2,1923 Department of Commerce p16• 』2012年、インプレスジャパン、205頁• 』2012年、インプレスジャパン、206頁• 76-81. 『学研まんがでよくわかるシリーズ94 正露丸のひみつ』(2014年3月31日、学研パブリッシングコミュニケーション発行)62ページより。 2019年9月10日閲覧。 「新たにラジオ東京 新聞関係一本で申請」『朝日新聞』昭和26年1月11日• 中村禎昭、、テレビジョン学会誌 32(10)、902-904、1978-10-01• www. mbs1179. com. 2019年1月22日閲覧。 - 2008年5月 久本憲夫(京都大学大学院経済学研究科 教授)、川島広明(日本民間放送労働組合連合会 近畿地方連合会 執行委員)• 『ドイツのロック音楽 またはカン、ファウスト、クラフトワーク』 p. 139。 関連項目 [ ] で 「 ラジオ」に関する情報が検索できます。 ウィクショナリーの ウィキブックスの ウィキクォートの ウィキソースの コモンズで() ウィキニュースの ウィキバーシティの ウィキデータの• 外部リンク [ ]•

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【メディアポ】【ラジオのしくみ】ラジオの受信と周波数|テレビログ

ラジオ 周波数 am

9MHz 100w NHK2 1467KHz 100w 送信場所 MBC:阿久根市折口字永田 (岩船神社西の海岸) NHK:阿久根市赤瀬川625 (老人ホーム桜ヶ丘荘南) FM:薩摩郡さつま町白男川字内木場6010 (紫尾山) 奄美 MBC 1449KHz 300w NHK1 792KHz 1kw NHK2 1602KHz 1kw 送信場所 MBC:奄美市名瀬金久字樋又1929 (名瀬港西方高地) NHK:奄美市名瀬朝仁字赤崎 (赤崎公園) 奄美住用 NHK1 78. 3MHz 10w 送信場所 奄美市住用町石原 (滝ノ鼻山) 伊佐 MBC 1107KHz 1kw NHK1 1503KHz 100w 送信場所 MBC:伊佐市菱刈下手字下手下 (水天神社北東) NHK:伊佐市大口鳥巣字外一町1065-1 (伊佐市総合運動公園) 西之表 MBC 82. 3MHz V 1kw NHK1 79. 3MHz V 1kw 西之表市古田字十三番 (廻峰山) 薩摩川内 MBC 1107KHz 100w 送信場所 薩摩川内市宮里町 (清水ヶ岡公園南) 鹿屋 MBC 94. 2MHz 100w 送信場所 鹿屋市有武町字鳴之尾国有林140林班れ小班 (御岳山) 枕崎 MBC 94. 8MHz V 100w 送信場所 枕崎市東鹿篭3648 (蔵多山) 姶良 MBC 86. 7MHz 100w 送信場所 AM:大島郡徳之島町徳和瀬 (徳之島総合運動公園南東) FM:大島郡徳之島町亀津 (井之川岳) 瀬戸内 NHK1 1026KHz 100w 送信場所 大島郡瀬戸内町古仁屋 (高知山) 与論 NHK1 77. 0MHz 100w NHK2 78. 7MHz 100w 送信場所 大島郡与論町朝戸 (与論中学校北方) 喜界 NHK1 80. 3MHz 100w 送信場所 大島郡喜界町嘉鈍 (百之台) 宇検 NHK1 81. 3MHz 10w 送信場所 大島郡宇検村生勝 (峰田山) 大和 NHK1 83.

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9MHz 100w NHK2 1467KHz 100w 送信場所 MBC:阿久根市折口字永田 (岩船神社西の海岸) NHK:阿久根市赤瀬川625 (老人ホーム桜ヶ丘荘南) FM:薩摩郡さつま町白男川字内木場6010 (紫尾山) 奄美 MBC 1449KHz 300w NHK1 792KHz 1kw NHK2 1602KHz 1kw 送信場所 MBC:奄美市名瀬金久字樋又1929 (名瀬港西方高地) NHK:奄美市名瀬朝仁字赤崎 (赤崎公園) 奄美住用 NHK1 78. 3MHz 10w 送信場所 奄美市住用町石原 (滝ノ鼻山) 伊佐 MBC 1107KHz 1kw NHK1 1503KHz 100w 送信場所 MBC:伊佐市菱刈下手字下手下 (水天神社北東) NHK:伊佐市大口鳥巣字外一町1065-1 (伊佐市総合運動公園) 西之表 MBC 82. 3MHz V 1kw NHK1 79. 3MHz V 1kw 西之表市古田字十三番 (廻峰山) 薩摩川内 MBC 1107KHz 100w 送信場所 薩摩川内市宮里町 (清水ヶ岡公園南) 鹿屋 MBC 94. 2MHz 100w 送信場所 鹿屋市有武町字鳴之尾国有林140林班れ小班 (御岳山) 枕崎 MBC 94. 8MHz V 100w 送信場所 枕崎市東鹿篭3648 (蔵多山) 姶良 MBC 86. 7MHz 100w 送信場所 AM:大島郡徳之島町徳和瀬 (徳之島総合運動公園南東) FM:大島郡徳之島町亀津 (井之川岳) 瀬戸内 NHK1 1026KHz 100w 送信場所 大島郡瀬戸内町古仁屋 (高知山) 与論 NHK1 77. 0MHz 100w NHK2 78. 7MHz 100w 送信場所 大島郡与論町朝戸 (与論中学校北方) 喜界 NHK1 80. 3MHz 100w 送信場所 大島郡喜界町嘉鈍 (百之台) 宇検 NHK1 81. 3MHz 10w 送信場所 大島郡宇検村生勝 (峰田山) 大和 NHK1 83.

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